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富山県の時の鐘訪問記
富山市於保多神社の時の鐘
(富山市)
富山市於保多神社は富山駅から車で10分ほどの距離にある。地元では天神さんとして親しまれている。時の鐘は二代富山藩主、前田正甫公の顕彰碑として残されている。
1671年の古くから富山城では時の鐘が使用されていた。明治には場所を移転し、使用されていたが、明治32年の大火で半分が焼け落ち、残る半分は於保多神社に移された。
銘文を大きくする
高岡町の時の鐘
(高岡市)
以下は説明板の説明を引用する。
高岡市指定文化財「時鐘」
昭和37年3月30日指定
江戸時代にはまだ時計が普及していなかったので、町民に時刻を知らせる必要があった。それは規則的な生活を営み、共同生活の秩序を保ち、生産の能率を上げ、災害を防止する上にも重要であった。
当時の高岡町奉行寺島蔵人は時鐘の鋳造を計画し藩の認可を得たところ、金屋町は前田利長以来の藩の厚い保護に報いるためその鋳造を願い出て文化元年(1804)に出来上がった。そうして九月十一日午前六時から二番町会所でつきはじめたが、間もなく鐘に割目が生じ改鋳にせまられた。坂下町の鍋屋仁左衛門は、高岡鋳物の声価を傷つけたことを悲しみ、自ら多額の金品を寄付し、浄財を集め工人を督励なして、文化三年(1806)七月遂に見事な大鐘を完成した。
これがこの時鐘で、口径百十二糎(cm)、唇厚十八糎(cm)、高さ百九十七糎(cm)、重量二千二百五十キロあり、鐘面一杯に皆川淇園の筆になる銘が刻んである。
以来朝夕高岡町民に親しまれてきたが、明治十二年以降数度の火災により移転され、その後大佛寺に寄付されて今日に至っている。
昭和四十六年七月 高岡市教育委員会
富山市科学博物館:富山市天文台
作成 2003
最終更新 2007-07-12
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