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富山県の江戸時代から明治時代の天文資料

富山県内に残る江戸時代から明治時代の天文関係資料の一覧です。

所蔵先 資料名 所在場所
高岡市立博物館 渾天儀 高岡市
城端町立公民館 渾天儀 城端町
大楽寺 射水市
射水市新湊博物館 黒漆塗一閑張四段遠眼鏡 射水市
伏木北前船資料館 金属製四段望遠鏡 高岡市
森家 望遠鏡 富山市
氷見市立博物館 望遠鏡 氷見市
富山県教育記念館 方円星図 富山市
高岡市立図書館 天体図 高岡市
富山市民俗民芸村民芸館 天体図 富山市
光蓮寺 回照儀(日時計) 高岡市


(1) 高岡市立博物館の渾天儀(高岡市古城)

 中心に地球の模型がある漆塗りの説明用の木製渾天儀。高岡市戸出の十村役河合家伝来したもので、奈部喜雄氏が寄贈したもの。外側の環の直径は約40cmで、龍柱で支えられている。極軸と黄道の極の軸の2軸で回転する。製作年不詳。彫刻、高陵住、黒川成清造之。漆工、高陵中邨尚潤。黒川成清・中邨尚潤については詳しくは不明だが、高陵という肩書があるので、高岡の人と考えられている。六合儀の天経環に北極・北極出地三十六度・嵩高白道大距、黄道環に二十四節気・二十八宿等の文字が描かれている。地球の地図は最新のものである。

(2) 城端町立中央公民館の渾天儀(城端町)


 中心に地球の模型がある漆塗りの説明用の木製渾天儀。文化9年(1812年)、西村太冲の親戚で門人の小原治五右衛門一白作。外側の環の直径は約40cm。極軸の一軸で黄道環、白道環が回転する。「亜細亜人一白作」・「文化九年壬申立秋」の銘がある。文字は六合儀の天経環に北極・北極出地三十六度・嵩高距夏至一十二度半、夏至日道地高七十七度半・赤道春秋二分日道地高五十四度・冬至日道地高三十度半・南極・南極入地下三十六度、地平環に方位・宮による方位・国名による方位、三辰儀の天経環に黄赤大距二十三度半・黄道軸・黄赤軸距二十三度半、黄道環に二十四節気・二十八宿、四遊儀の天経環に白道・黄白大距五度半、白道環に正月望から十二月望まで十二種がある。
高岡の渾天儀に似るが、回転軸が少ない、地球の地図が古いという特徴がある。

(3) 正時版符天機(垂揺球儀)(射水市)

 加賀藩の精密な時刻制度を支えた精密時計「正時版」の機械部分。「はと時計」と同じ原理で、おもりが重力で落ちる力を利用して振子を振らせ、そのおもりの位置で時刻を表示する。1日に10万回振れる。振り子の長さを調節して、周期を変更して、誤差を最小にすることができる。
 神奈川県中井町の江戸民具街道に福光町で所蔵されていた正時版が現存する。また、国立科学博物館所蔵の精密尺時計も正時版ではないかと考えられている。

(4) 江戸時代の星図

 江戸時代までに日本で使用されていた星図は中国星座である。17世紀後半、渋川春海は、朝鮮の天象列次分野之図(1395)を参考に「天象列次之図」(1670)、「天文分野之図」(1677)という星図を著した。さらに星の位置を測定し、それを「天文瓊統」に示すとともに、子の昔伊と共に「天文成象」(1699)で図に表した。その折、中国星座で表されていない暗い星に対し、中国星座と関連があるような星座名及び太宰府など日本の官職名にあたる星座名をつけ、61座308星を追加した。この星図は日本人による星座が初めて制定された星図である。
 その後、18世紀後半から麻田剛立、高橋至時、間重富らが精密な観測を行うようになると、旧来の星図では役に立たなくなり、中国の「儀象考成」記載の恒星表を歳差を計算しながら、観測に使用するようになった。これにより星数も増えたので、春海の制定した星座の必要性はなくなり、使用されなくなった。石坂常堅は天文方の手伝いを行い、1818年に「分度星図」を発行、さらに測量を重ねて1826年「方円星図」を刊行した。これは初めての精密な星図である。
 射水市新湊博物館所蔵の天文星象平円図は石黒信由が寛政五年(1793)に描いたもので、星図の原図は元禄十二年(1699)の「天文成象」であると思われる。ただ、「天文成象」は円図と方図を組み合わせた図であるのに、天文星象平円図は円図である。
 富山市民俗民芸村の星図は朝鮮の天象列次分野之図に由来する古星図である。
 高岡市立図書館の天体図は渋川春海の「天文分野之図」を原本とする星図である。
 婦中町舟木家に残る書を集めた富山県教育記念館の舟木文庫、射水市新湊博物館には「方円星図」が保管されている。

(5) 遠眼鏡・望遠鏡(射水市)

 日本製望遠鏡は江戸時代から明治中期まで多く使用されたが、その後外国製望遠鏡に取って代られるようになる。日本海側では主に北前船の寄港地に多く残っている。

(ア) 射水市新湊博物館所蔵、黒漆塗り金唐草押型紋様一閑張屈折望遠鏡
 19世紀を代表する大坂の貝塚の岩橋家の製作した望遠鏡。望遠鏡は後に鳥取孝太郎氏が寄贈されたものである。接眼部を引き出した接眼部につながった筒に「岩橋」の銘がある。
 第一筒は直径51mm、長さ343mmで四段式の伸縮望遠鏡。各段には焦点の合う位置を表す線があり、その線を基準にすると、全長は893mmである。対物レンズは直径38mmであるが、このレンズは本来の対物レンズではない。接眼部は中筒を接眼部がはさみ込む形式になっている。特筆すべきなのは両接眼レンズの間に絞りがあることである。
表面の金唐草模様は岩橋家に伝わる「サイクツモリ」にも描かれている模様、他の岩橋製望遠鏡に描かれている模様が多く見られ、岩橋家製作の特徴をよく表わしている。

(イ) 射水市新湊博物館所蔵、赤漆塗金唐草押型紋様一閑張屈折望遠鏡
 三段式の伸縮望遠鏡で、受け口の部分は真鍮製の金具である。

(ウ) 伏木北前船資料館所蔵金属製望遠鏡
 四段式の伸縮望遠鏡。外国製望遠鏡ではないかと思われる。

(エ) 氷見市立博物館所蔵望遠鏡
(オ) 氷見市立博物館所蔵望遠鏡
 共に未調査である。

(6) 日時計

 加賀藩では独自の日時計が作られた。詳しい解説はこちらを参照していただきたい。

(ア) 射水市新湊博物館所蔵、し景儀
加賀藩士、遠藤高mの製作した日時計。

(ア) 射水市新湊博物館所蔵、太陽影四定儀
加賀藩士、遠藤高mの製作した日時計、し景儀に似たものと思われる。。

(イ) 高岡市光蓮寺所蔵、回照儀
明治時代の栂森観亮製作の日時計。栂森観亮は高岡市二上の光蓮寺に生まれた。石川、京都などで天文、数学、医学を勉強し、寺の住職の傍ら、管天儀(内容不明)、回照儀(日時計)を製作した。光蓮寺には観亮が作った洞窟が残る。


富山市科学博物館:富山市天文台
作成 2007-05-07
最終更新 2007-07-12
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