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新潟県の隕石関係資料

新潟県に落下した隕石とそれに関係する資料を紹介します。


(1) 米納津隕石と落下記念碑(新潟県西蒲原郡吉田町富永:東京都台東区国立科学博物館)
 米納津隕石は現在、わが国に落下した石質隕石では2番目に大きなもので、重さは 31.65s、東京の国立科学博物館に保存されている。この隕石が落下したのは天保8年(1837)6月11日(旧暦、12日の説もあるが11日が正しいようだ)夕七ツ時ころ、百雷の轟くがごとき音響とともに南西の方から飛来落下した。落下地近くの田の中で草取りをしていた人の中には、音のあまりのすさまじさに気絶した人もいた。
 その後、庄屋の田辺家に保存されていたが、オコリ(マラリア?)の薬によいなどといわれ、削って飲む人もおり、明治の初め頃にはこの隕石のことを歌った石口説(いしくどき)という歌まであったという。明治32年(1899)1月、東京の帝室博物館(国立科学博物館の前身)に出品され現在に至っている。
 昭和37年(1962)11月10日、地元のアマチュア天文家草野磐氏の寄付により、米納津隕石落下記念碑が建立され除幕式が行われた。この記念碑は、碑の上に米納津隕石の模型を置いたユニークなもので、台座には落下地はここから30mと矢印で表示されている。落下地は記念碑の後方にあたり、コンクリートパイルで標示してある。 碑の完成を記念して吉田町教育委員会により、米納津隕石物語(吉田町文化財報告・NO・2)という小冊子が発行されている。(松村巧)
参考文献:
村山定男,隕石の旅(6)米納津隕石,1992,星の手帖
国立科学博物館,季刊・自然科学と博物館 No・4 特集隕石,1980,国立科学博物館



(2) 櫛池隕石と落下記念碑(新潟県上越市(旧清里村) )
  櫛池隕石は大正9年(1920)9月16日、清里村大字上中条字前田 584番地(櫛池小学校西側の水田)に落下した。落下は多くの人によって目撃され、故神田 茂氏は東京で落下を目撃、光度は金星の約10倍、色彩は赤色を帯び大きさは月の6分の1と観測された。同氏はこれにより隕石に興味をもたれたらしく、その後日本の隕石を研究された。落下の状況は午後6時すぎ、村人が河原で石を取っていると、飛行機の如くゴ−ゴ−と音をたてて何物かが飛来し、上中条の水田中に落下した。水煙は5間も上がり水蒸気が立ち、水田のほとりの深さ約2尺ほどの深さに埋まっていた。
 落下して半月までの様子は9月20日、東大教授の早乙女氏、天文台技師の河井氏の一行が現地調査、午後には隕石講演会を行っている。この調査は日本の天文学者が隕石の落下した直後の現地を調査した最初のものであろう。このほか10月3日までに、多数の付近住民が隕石を見物に訪れている。
現在、櫛池隕石の落下地には清里村教育委員会建立の碑があり、隕石は昭和49年(1974)3月30日、新潟県天然記念物に指定されている。(松村巧)
参考文献:
国立科学博物館,季刊・自然科学と博物館 No・4 特集隕石,1980,国立科学博物館



富山市科学博物館:富山市天文台
作成 2007-05-15
最終更新 2007-07-12
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