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富山県の月供養塔関係資料

富山県に現存する月供養塔に関係する資料を紹介します。


(1) 月待ち−さんにゃ様(廿三夜塔)−(大沢野町)

 月待ちとは特定の月齢の日に講の人々が集まり、飲食をしながら、月の出を待って月を拝む行事である。月齢では十七夜、十九夜、二十三夜、二十六夜があげられ、特に正月、五月、九月に行われる二十三夜待が盛んだった。月待に関連して石塔が残るものがある。「〇〇夜(待)供養」とあるものを総称して月待供養塔としているが、これらがすべて実際の月待信仰に関係しているかどうかは不明である。 富山県では二十三夜塔はそんなに多くはない。国道41号線沿いの高山線猪谷駅の近くにある、富山県大沢野町下夕地区では旧暦の1月23日に女の人が集まり、二十三夜の月待ちの行事を行っていた。集まる家は特に決まってはいないが、元服、二十五、四十二の祝いがあったような家で行うことが多いようだ。女の人が集まり、世間話をしながら月の出を待ち、月の出が近くなると戸を開け、月が出るとろうそくや線香を立てて拝む。集まった人には団子、ぼたもち、赤飯などがふるまわれたそうだ。残念ながら今は世話する方がいなくなり、行われていない。 下夕地区の一角には「さんにゃさま」と呼ばれる石塔がある。頭の両側に日月があり、背面には「天保九戌年七月」の銘がある。ただ、現在はこの石塔の前で集まることはないそうだ。

(2) 月待ち−甲子塔(廿三夜塔)−(宇奈月町)

 「甲子待」、「子待」は甲子の日、子の刻まで起き、商売繁盛などを願って大黒天などを祭る行事である。宇奈月町中ノ口(藍本橋の右岸)にある甲子塔には「甲子塔」の文字の右に「廿三夜」、左に「廿六夜」の書かれた甲子塔がある。 「施主野島四郎次郎」、「倅捨五郎」とあり、農民の個人が建立したものである。これは一塔で三供養(甲子待、廿三夜待、廿六夜待)を兼ねており、この特徴から明治以降のものと思われる。

  参考文献:「とやま民俗21、東猪谷民俗誌」、
        富山大百科事典
        塩照夫著、富山県の歴史「越中の街道と石仏」他

富山市科学博物館:富山市天文台
作成 2007-04-23
最終更新 2007-07-12
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