オパールの仲間今も形成
立山温泉新湯 (第24回)



  
   
   立山温泉新湯の玉滴石。右上のスケールは1ミリ
   
 写真は、世界的にも有名な立山温泉新湯の「玉滴石」である。玉滴石は、直径一-二_。透明なガラス玉のような美しさがある。一つひとつの粒がバラバラになっていることもあるが、粒がたくさん集まって固まりになっていることもある。

 鉱物学的には「魚卵状の蛋白石」と言うが、富山では慣例的に「玉滴石」と呼んでいる。

 採れたのは十九世紀末から二十世紀初頭、今から百年ほど前のことだ。一八九〇年代から一九〇〇年代の初めにかけて、学者らによって紹介され、その美しさから世界的に有名になった。古い博物館や大学では、玉滴石を収蔵している所も多い。イギリスの大英自然史博物館にも新湯産の玉滴石が展示されていた。

 立山温泉新湯は「立山カルデラ」のほぼ中央にあって、容易に人を寄せ付けない。古文書などによると、一八九八(安政五)年の飛騨地震の時まで冷泉であったものが、地震を境に温泉になったという。

 一九八五年になって再び玉滴石が採集されたのを機に、玉滴石の研究を始めた。立山温泉新湯の温泉水中には現在も多量のシリカを含み、溶けきれないシリカは一万分の二-三_の球状体となって沈殿している。これは正に蛋白石で、蛋白石の一形態として玉滴石が採れたわけである。

 蛋白石のもう一つの形態として、宝石のオパールがある。ひょっとすると、宝石のオパールが新湯の地下に眠っているかもしれない。

 ともあれ、宝石の生成を含めて地質時代に起きたさまざまな現象は多くの場合、形成された結果を目にすることはあっても、形成されている現場を確認できることは、本当にまれである。

 立山温泉新湯は、蛋白石の形成について、進行形の現場を提供してくれているという意味で、大変重要な場所なのである。(赤羽久忠 2000年5月12日掲載)




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