遠くなった豊かな自然
水辺の生物減少 (第39回)



  
   
   砺波市で開かれた自然観察会で水辺を楽しむ子供たち
   
 きれいな水の流れは、だれが見ても飽きることはない。コケの採取で県内あちこちを回るが、清流やわき水を見つけるとうれしくなる。

 私が子供のころ、田んぼの間を流れる小川が格好の遊び場だった。今の子供達も、自然観察の行事では水辺に来ると瞳が輝く。「去年はヤゴを捕まえて、トンボにまで育てた。今年もする」と言う子もいる。しかし童謡で歌われるようなフナやドジョウがすむ小川、メダカの学校のある川は大変珍しくなってしまった。わき水や清流で生育するコケ植物にも、全国的に減っている種類がある。

 科学文化センターに勤めて初めて、私はタガメやゲンゴロウを標本で見たり、標本庫の植物標本で水田や小川に生える草の多さを知った。子供の頃に見てメダカだと思っていた小さな魚が、ウグイの稚魚と分かった時はがっかりした。

 戦前に比べて水辺の小さな生き物は数も種類も大変少なくなった。子供たちは今の自然しか体験できず、生き物がいっぱいいたという自然を懐かしむことさえできない。水辺を含めた昔ながらの里山の自然が、急速に失われている。

 水辺の生き物が少なくなった原因は河川の改修によるコンクリート壁、農薬や除草剤の影響が大きい。生き物いっぱいの自然が減りつづけている一方で、人工的に「ホタルがすむ」「メダカがいる」水辺をつくる動きが全国各地で起こっている。妙な感じだが、多くの生き物がすめる環境が少しでも増えてくれることはうれしいことだ。

 人は自然が好きなのだろうか?人によって自然を見るモノサシは違う。都合や心地のよい自然は好かれ、危険や不便だったり無駄な自然は別のものに造りかえられる。豊かな自然は、遠くに見て思うものになっているのかもしれない。人間と自然とのつきあい方について考えるのは難しいが、ずっと考えつづけたい。(坂井奈緒子 2000年5月31日掲載)




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