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とやまと自然 第20巻 秋の号(1997年)
富山の野鳥−秋の渡り−
 
山野浩平
 
 ふと秋空を見上げた時、南の方角をめざして、鳥の群れが飛んでいくのを目にしたことはありませんか。9月から11月にかけて、県内のいたるところで、北から南をめざす渡り鳥の移動が観察できます。今回は、渡り鳥のいろいろをご紹介しましょう。

 
はじめに
 
ヒヨドリ

  市街地でもよく目にするのが、ヒヨドリの渡りです。ヒヨドリは、富山県でも1年中、人里から山地までふつうに見られる野鳥で、ふつう留鳥(渡りをしない鳥)だと思われていますが、北国や山地に住んでいるヒヨドリは、冬の寒さやえさ不足を避けるために、南の地方で越冬するので、渡り鳥という一面もあるのです。  ヒヨドリは昼間、十数羽から二百羽程度の群れをつくって、ピーヨピーヨと鳴き交わしながら渡るため、とても目立ちます。ぜひ、見つけてください。ヒヨドリはまた、4月から5月ごろには、秋とは逆に南から北をさして群れで渡るようすがはっきりと観察できます。渡りを明らかに示してくれるもっとも身近な鳥といえるでしょう。

 
■昼渡る鳥
 
図1.タカの渡り方

  昼間渡る鳥は、サシバなどのタカのなかまや、ヒヨドリなどの密集した群れをつくる鳥に限られます。  昼間は、太陽であたためられた空気が軽くなって上に上がります。これを上昇気流といいます。とくに山の斜面は上昇気流ができやすく、タカのなかまは、この上昇気流を利用してグライダーのように飛びながら、輪を描くように高度を上げ、次にめざす方向に滑空しながら、渡っていきます(図1)。このように、昼間はタカなどの大きく強い鳥が渡りをしています。  弱い小鳥が昼間飛ぶと、タカの餌食になってしまうかもしれません。それを防ぐにはどうすればいいでしょうか。  一つは群れをつくり、身を守ることです。アフリカなどで草食動物が群れをつくっていることを思い出してください。群れをつくると、まわりの異変に群れのだれかが気づくので、肉食動物の危険を早く群れのなかまに伝えることができます。また、肉食動物に対し、圧力をかけたり、共同で防衛したりしやすくなります。  タカにおそわれないように、ヒヨドリは群れをつくり、周囲に気を配りながらほぼ一直線に飛んでいきます。山から山へ谷間をこえるときは、一度木の茂みに集結し、まわりの様子をうかがいながら休憩したり、海に出たらハヤブサの上からの攻撃を受けないように海面すれすれに飛ぶ場面に出くわすことがあります。また、場合によっては集団で猛禽をけん制する行動(モビング)をすることがあります。  身近な鳥ではヒヨドリのほかにも、メジロが群れで昼間に渡ります。メジロは、ヒヨドリ(体重80g程度)よりもはるかに小さく(体重12g程度)弱い鳥ですが、緊密な集団をつくり、タカに対してもモビングを行ったりして、昼間も堂々と渡っていきます。

 
■夜渡る鳥

  タカにおそわれるのを避けるためのもう一つの方法は、昼間に渡らないことです。つまり夜渡ればよいのです。鳥の中には、夜、単独で渡る鳥も数多くいるのです。例えばツグミのなかまがそうです。鳥は鳥目なので夜は目が見えないという説がありますが、多くの鳥は人間よりもよく見える目をもっています。では夜渡る鳥は、何を目印にコースを決めるのでしょうか。  驚いたことに、夜渡る鳥の中には、星を目印に渡っていくものがいることが、実験で確かめられています。アメリカの鳥類学者エムレンは、ルリノジコというホオジロのなかまの小鳥を飼い、プラネタリウムの中で条件を変えて実験しました。するとルリノジコは、春には北向き・秋には南向きの定位行動(方角を決める行動)を、北極星を中心とする星座のパターンによって引き起こしたのです(図2)。さらに実験では、一度も渡りを経験していない幼鳥は、まず星の日周運動(太陽のように東から西に回転する動き)によって南北の軸を見つけることも証明されました。つまり、数千年後に今の北極星が北を示さなくなっても、ルリノジコは北を見つけることができるわけです。 秋はまた月の美しい季節です。月を双眼鏡や小望遠鏡で見るのもよいものです。月面のクレータやうさぎのもちつきの模様も面白いのですが、ときどき、月の前を鳥が飛んでいく姿を見ることがあります。  長いくちばしをもったシギのシルエットが月面を横切っていき、そのあとピピピピ…と夜空に吸い込まれるような鳴き声が届くような、幻想的な場面に出会うこともあるかもしれません。

 
■渡りのしくみ
 
図2.星座による定位

  先ほどは星によって渡りの方角を決める例を紹介しましたが、渡り鳥が方角を知る手がかりは、星の他にもたくさんあることがわかっています。 もちろん太陽は重要な手がかりです。太陽の日周運動、日の出や日の入りの位置は、東西南北の方位を教えてくれます。 また、ハトのなかまなど多くの鳥が、地磁気を感じることができることが知られています。方位磁針が体内に備わっているわけです。 他にも、偏西風などの定常的な上空の風の存在、低気圧のつくる風の渦や前線の雲の配列、富山県での立山連峰や呉羽丘陵・能登半島といった明らかな地形も、2回目、3回目と渡りの経験を積んだ鳥にとっては、飛行するときの重要な手がかりになっていると考えられます。 私の富山県内での観察でも、寒冷前線の通過後の北風に乗ってシベリアからの冬鳥がぞくぞくと到着すること、富山市の蓮町あたりから神通川を越えて呉羽丘陵をめざす鳥の群れが多く見られることなど、学習によって鳥は渡りをより確かなものにしていくことが納得できる事例があります。 では、鳥は渡りの行動をどのようにして起こすのでしょうか。 ドイツの鳥類学者グウィナーなどによって実験的に確かめられたことによると、生まれつき約1年のリズムをセットされた鳥の体内時計に基づき、昼の長さの変化や気温の変化がきっかけとなって、ホルモンが分泌されるなどの生理的な変化が起こります。すると、渡りに必要なエネルギーとなる脂肪分を体内に蓄えて、やがて旅立ちの衝動が起こり渡りを開始するといいます。 同じように生理的な変化が起こっても、春と秋では渡りに向かう方位が逆になります。実験では、1年サイクルの体内時計が、昼の長さの変化や気温の変化がない状態でもはたらいていて、春秋の逆方向の渡りの定位を引き起こすことがわかっています。

■渡り鳥の観測
図3.婦中鳥類観測ステーション位置図

  この夏に、古洞の森の丘陵地の一角に富山市天文台がオープンしました。今後の科学文化センターの天体観測の行事も楽しみですが、天文台からは「野鳥の園」の野鳥観察もできるようになっていて、遊歩道でのバードウォッチングと組み合わせての昼間の見学も興味を引き立てられます。その丘陵地の続き、婦中町高塚に国設1級婦中鳥類観測ステーションがあります(図3)。 この施設は「婦中バンディングセンター」ともよばれ、全国で10ヵ所の1級ステーションの一つです。「バンディング」とは鳥の足にバンド(足輪)をつけることです。鳥類標識の資格をもった調査員が、特別の許可を得てかすみ網で渡り鳥を捕獲し、種類や性別・年齢等のデータを記録して足輪をつけ、再び大空にかえします。 足輪には、世界で一つしかない記号や番号がきざまれています。足輪を見ると、たとえば、
このように、日本の環境庁が扱っていること、足輪のサイズ(2は小鳥クラスの足輪)、通し番号(F 34567)が読みとれます。 何のためにバンディングを行うのでしょうか。 それは、国際的に渡り鳥に関する基礎データがまだまだ不足しているからです。足輪をつけた鳥が、いつかどこかで再び確認されることがあります。すると、その鳥の渡りのルート、分散のしかた、寿命などがだんだん明らかになっていくわけです。このような基礎データがあると、その鳥の生態が把握でき、さらに保護の具体策を考えることができます。日本も各国との国際的な渡り鳥の保護条約に基づき、標識調査(バンディング)を行っています。 婦中鳥類観測ステーションでは、陸にすむ小鳥類を主な対象にして調査しています。その記録によると、年によって変動はありますが、近年では10月下旬から11月中旬までの1か月間に、およそ40種類2000羽の鳥類を捕獲し、標識をつけて放鳥しています。
図4.標識をつけるために捕獲されたカシラダカ 図5.婦中での放鳥数の変化
ここでの累積放鳥数でいちばん多いのが、カシラダカというホオジロのなかまです(図4)。上面が茶色で腹が白い地味な鳥ですが、シベリアで繁殖し冬に日本にやってくる冬鳥です。あまり知られていませんが、11月頃の富山県内の里山で数が多い鳥のベスト5に、カシラダカは入ると考えられます。10年前までの婦中バンディングセンターでは、カシラダカは秋の放鳥数の約50%を占めていました。 しかし最近、カシラダカをはじめとして、各種の鳥の秋の渡りの規模が小さくなってきました。 婦中での放鳥数の変化を図5に表しました。このように全体の数が減っているほかに、20年前にはよく見られた数10羽単位の群れで飛ぶ姿は、近年はあまり見かけなくなっています。

■渡り鳥の保護

  渡り鳥の減少が事実とすれば、その原因は何なのでしょうか。たしかに繁殖地で不順な天候だった年の秋には、若鳥が少なく渡りの数が少なくなります。しかし天候不順の夏が毎年続くわけではありません。地球温暖化のような大きな気候の変化が起こりはじめ、繁殖地の生態系に変化が生じているのでしょうか。そうだとすれば、大変なことですが、幸い、そのような話は聞いていません。  よくいわれることが越冬地の環境の変化です。例として、シベリアから冬に日本にやってくる冬鳥の生活場所が、住宅地やゴルフ場になってしまったりすることが考えられます。カシラダカなどは、丘陵地のススキの原をねぐらにして、稲刈りの終わった谷間の田んぼに落ち穂拾いに出かけるような生活をするので、丘陵地が開発されるとたちまち生息がおびやかされることになります。あるいは秋に日本から南へ去った夏鳥たちが、東南アジアで越冬しようとするとき、日本への木材輸出のために森林が伐採されていたり、食料増産のために焼畑にされていることも十分に考えられます。
図6.オバシギ
 また、長い距離を渡るシギのなかま(図6)などにとって、中継地となる干潟などの水辺の環境は大切な栄養補給・休養の場所ですが、そういった場所がどんどん失われているということも確かです。中継地が少なくなって旅の道中が厳しいものになれば、渡り鳥は減っていくことでしょう。ラムサール条約という湿地を守るための条約が国際的に取り交わされていますが、水鳥や水辺の鳥を保護するためにはまだまだ努力が必要なように感じます。 夏鳥についても、最近、オオルリ、サンコウチョウなどの美しい夏鳥が減ってきたといわれます。もちろん日本では法律で保護されている鳥たちですが、国内でも密猟が行われ、無許可の飼い鳥やはく製にされているらしいのです。  いずれにしても人間の活動が渡り鳥の生息にさまざまな影響を及ぼしている可能性が高いのですが、複雑にからみあっていて、どんな原因でどれだけ鳥が減っているのかわからないというのが本当のところです。気がついてみればトキのように絶滅寸前にまで追いやられていることもあるかもしれないのです。




■富山県内の渡りルート
  富山県には、富山湾から立山連峰まで、標高差3、000mにおよぶ多様な環境があります。また植生自然度全国3位という豊かな森林に恵まれた県土をもち、コンパクトな県土ながら、海にすむアビ類から高山に住むライチョウまでおよそ300種類の野鳥が観察できます。 秋の渡りという面からみると、富山県内ではどのような実態があるのでしょうか。  鳥越峠という地名が県内にいくつかありますが、小鳥が山を越えるときに、できるだけ低い場所を選んで飛ぶことから、古くから渡り鳥の通り道として知られていた場所であることが多いようです。婦中の鳥類観測ステーションも古くから知られた渡り鳥の移動線上に開設されたもので、能登半島からのルートと、日本海沿岸のルートが交差する場所としての成果が期待されています。これまでは、北海道、青森、新潟、石川、福井、島根、福岡などと結ぶ再捕獲のデータが多く集まっていて、日本海沿岸の渡りルートが明らかにされてきています。  9月から10月にかけては、タカの渡りが、立山連峰や飛越国境の山地、石川県境の山々で見られます。上昇気流が起こりやすい山をつなぐように渡るため、タカの渡りにはルートがあるように見えます。東日本のタカの渡りルートがだんだん合流して、シーズンに何万羽もの数多くのタカが渡る姿が見られるのが、愛知県の伊良湖岬です。
図7.県内の渡りルートの予想 図8.マガン
 県内でも御鷹山、高峰など「タカ」のつく山は、殿様の鷹狩りの場所であったと伝えられたりしていますが、いくつかの山は春秋のタカの渡りのルートではなかろうかと予想するバードウォッチャーもいます。県南部の高清水断層や牛首断層に沿って「タカ」のつく山々が並んでいるのにも意味があるのかもしれません。富山県を通過するタカがどのようなルートで南をめざすのか、熱心な観察者によって調べられているので、いずれ明らかにされるのではないでしょうか。  一方、海岸や河川下流の砂れき地やアシ原をつたうように、シギやチドリのなかまや、アシ原で生活するオオジュリンなどの小鳥が移動していきます。今は海王丸で有名になった新湊市の富山新港西埋め立て地は、造成中は人工的な干潟が一時的に生じ、珍しいシギやチドリのなかまが立ち寄っていきました。それで新港の埋め立て地は野鳥愛好者の間で知られるようになり、自然の復活を願う運動も行われた結果、野鳥観察園が整備されることになり、今では多くの人々に水辺の野鳥の観察の場を提供しています。 秋が深まると、マガモ、コガモ、ヒドリガモ、オオハクチョウなどの水鳥が、ロシアなど北方から川や池に到着します。石川県や新潟県に比べ富山県にはマガン(図8)やヒシクイなどのガン類が定期的に飛来する場所のないことは、残念なことですが、これらカモのなかまの冬鳥で水辺は1年で一番にぎやかなときを迎えます。

  秋になって夏鳥が去り、旅鳥が立ち寄り、冬鳥がやってきます。渡り鳥が飛ぶことは、四季の移ろいを感じさせてくれるだけでなく、自然の営みが確かに繰り返されている証しであるのではないでしょうか。 地球規模の環境保全が求められている今、国境を越えて移動する渡り鳥が、四季の変化の中で群れ飛ぶ自然を取り戻すことが、私たちに課せられた責務であるように思います。

 

(国立立山少年自然の家 やまの こうへい)
第20巻 秋の号 目次

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最終更新 2008-03-25
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