富山の大地

富山県は、約2,500万年程前、
現在のユーラシア大陸の一部が割れて移動してきた
「飛騨帯」
と呼ばれる変成岩類の上にあります。
富山県では飛騨帯の上に
日本列島を形作った古い時代
2億年程前から現在に至る時代の地層や岩石が見られます。

 

 

入善沖の埋没林(海底林)
 

埋没林(海底林)の発見
  昭和55年4月に発見された入善沖の埋没林(海底林)は、海面下20〜40mの海底に切り株のように根を下ろしていました。 木の生きていた時代を放射性炭素で測定してみると、海面下40mで 約10,000年前、海面下20mで約8,000年前であることがわかりました。この埋没林は、魚津の埋没林よりも古く、現在のところ最古のものです。

朝日町入善沖の埋没林
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氷河時代と埋没林(海底林)・扇状地の形成
 10,000〜8,000年前の時代は、地球上で最終の氷河時代が終わり、徐々に暖かくなっている頃で、それに伴って低かった海水面が徐々に上昇(海進)していたと考えられています。しかし、海水面が低かった時にあったと思われる森や林の跡が、それまでどこにも見出されていなかったのです。埋没林(海底林)の発見は、氷河時代に海水面が今より低かったことを直接証明する初めての発見であったのです。 発見された埋没林(海底林)は、少なくとも2,000年以上かかって繰り返し埋められたものであることがわかります。これは、黒部川扇状地を形成した洪水によって埋められたものが近年の海岸や海底の浸食によって海底に顔を出したものと思われます。 陸上でも道路工事の時などに、埋まっている大木が見つかることがあり、「神代杉(じんだいすぎ)」などと呼ばれていますが、これも扇状地をつくった洪水に埋められた原始林の跡と思われます。

冬の黒部川扇状地
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珪化木
  写真の珪化木は、福光町山中で発見されたもので、1,500〜1,800万年前、医王山周辺に火山活動があって、溶岩や凝灰岩が堆積しました。それらに埋められた樹木に、珪酸が染み込み木材の組織を置き換えて珪化木になったものです。 このような珪化木は、世界中で様々な時代の地層から主として陸成の堆積物中に見られます。アメリカのアリゾナ州の珪化木公園(Petrified Forest =石になった森)は有名で、見事な大木が内部の組織や形態を残したまま、重くて固い石に変わっています。このような珪化木のでき方については、数10万年〜数100万年を要すると考えられ、詳しいことはまだよくわかっていませんでした。

福光町で発見された珪化木
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珪化木のでき方
 このような珪化木のでき方について、当センターの研究で、いくつか新しいことがわかってきました。それについて紹介しましょう。  玉滴石が発見された立山温泉新湯で、温泉水が湯川に注ぐ流れの中に珪化木ができていることがわかってきました。  立山温泉新湯の温泉水は珪酸に飽和していて、溶けきれない珪酸分が0.2〜数μmの球状体として含まれています。この球状体が主として木材組織の道管を通って内部まで染み込み、細胞の内側から付着していることがわかりました。そして、実験材を温泉水の流れの中に浸す実験から、7年程の間に40%近くという、驚くような速さで珪化木が形成されていたのです。  いろんな珪化木がありますが、その中の一部は温泉水の作用によって数10年〜100年位でできてしまったものと思われます。

 

立山温泉新湯の玉滴石

立山温泉の新湯
 立山温泉は、「立山カルデラ」のほぼ中央にある爆裂火口に温泉が湧き出ているものです。直径約30mの湯釜から、70℃、pH約3の強い酸性の湯があふれ、湯川に注いでいます。安政5年(1858年)の飛越地震の時まで、ここは温泉でなく冷たい水の湧く泉であったということです。

 

玉滴石
 ちょうど今から100年ほど昔、立山温泉新湯から「玉滴石」という直径1〜2mmほどの大変美しいガラス玉のような石が採れました。同じような石は秋田県の秋ノ宮温泉や鹿児島県の牧園などでも採れましたが、これほど美しいものは他になく、世界的にも有名になりました。しかしそれ以降、このように美しい「玉滴石」を採集した報告はありませんでした。1980年代に入って、当センターは、この“まぼろし”の玉滴石を求めて立山温泉新湯の調査を始めました。そして1986年、ついに新たに「玉滴石」を発見しその採取をすることができたのです。100年前に採集されたもの程の美しさはありませんが、まぎれもない「玉滴石」です。採取した玉滴石の研究をすすめてきましたが、その結果について紹介しましょう。

 立山温泉新湯で採取された玉滴石
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形成されている玉滴石
 「玉滴石」は、シリカ(珪酸=SiO2)が結晶にならずにガラスのような状態で沈殿したもので、鉱物としては蛋白石(オパール)です。立山温泉新湯の温泉水には大量のシリカが溶け込んでいて、現在でもシリカが沈殿していることがわかってきました。立山温泉新湯は、現在・正に蛋白石(オパール)が形成されている現場なのです。蛋白石を含めた宝石など、地球の歴史の中で形成された様々な「結果」を観察することはよくありますが、それらが正に形成されている「進行形」の現場を観察できることは大変めずらしいことです。

 

 

富山の化石

県内初の恐竜化石
北陸地方に分布している手取層群とよばれる地層は恐竜の時代の中頃から後半(約1億6000万年前〜1億年前)にかけて堆積したもので、富山県でもこの地層から恐竜化石が発見されています。1990年に富山県でも初めて恐竜化石(足跡化石)が、県南部の大山町で発見されました。

大山町亀谷で発見された恐竜足印化石(獣足類)
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富山の貝類化石
 富山県の南西部は、古くから貝類化石が豊富に産することで有名で、多くの研究者が富山を訪れました。県南部の八尾地域には黒瀬谷層(くろせだにそう)という約1650万年〜1600万年前に堆積した地層が分布しています。黒瀬谷層からはマングローブ性貝類化石が多く産します。現在の東南アジアの海岸のような、熱帯性の浅い海が当時の北陸に広がっていたことがうかがえます。県西部には大桑層(おんまそう)という160万年前〜80万年前に堆積した地層が分布しています。大桑層からは200種以上の貝類化石を産出しており、これを調べると、現在の北海道沿岸に生息している貝類がよく見つかります。つまり、大桑層が堆積した当時、北陸の海は今よりも冷たい海であったことがわかります。大桑層からは貝類化石の他、鯨の骨、鮫の歯、ウニなどの化石も産します。

大沢野町産ビカリア化石

 

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