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太冲の暦学の系譜と引継ぎ




 太冲の師匠は西村遠里と麻田剛立です。この学問の系統はどのように伝わり、どのように継承されたのか、それを検証してみたたいと思います。

1.西村遠里の暦算の系譜
 西村遠里の暦算の系譜はその著書、「授時解」、「貞享解」という名前でわかりますように貞享暦であり、その元となった授時暦の研究にのっとったものです。これは加賀藩における西村遠里の弟子である本保以守の暦算に見ることができます。これは太冲の場合は符天暦に対応します。その内容に関しては、計算項目ごとに比較したものを符天暦の系譜に載せました。
 実際、東北大学所蔵の書籍に「西村符天暦見行草」4冊がありますが、安永4年のものは貞享暦見行草で西村遠里推歩、寛政6年のものは貞享暦見行草で西村太冲推歩、寛政13年のものは符天暦見行草で茶室吉辰の名前があり、寛政13年のものは符天暦見行草で名前はありません。茶室吉辰は茶室実寿と同じでないかと思われます。この系譜を見ると、符天暦は寛政6年以降、太冲の名前でつけられたと思われます。


2.麻田剛立の暦算の系譜
 麻田剛立の暦算の系譜は「実符暦」です。これは「実験録」を改訂したものであるというのが諸説の一致するところです。現在は「実験録」の現存数は多くはありませんが、「実符暦」はかなり現存しています。実際、太冲は石黒信由に「実符暦」を写す事を許可しています。麻田剛立の暦算の系譜の上で、「実符暦」は大きな役割を果たしたのかもしれません。

 一方、消長法は秘伝として伝えるのはごく少数でした。遠藤高mに「消長法」を預かってもらった時も、決して封をあけてはいけないとしています。太冲が消長法を伝えた弟子は小原(加藤)時雍と茶室康哉だけでした。


3.麻田剛立の観測機器の系譜
 麻田剛立系統の観測機器は加賀藩で広く流通しました。
 垂揺球儀は太冲の他、遠藤高m、遠藤高mと親交のあった寺西秀周が所有していました。また、これは加賀藩の時計、正時版に利用されました。このように改良された例は他ではありません。

 象限儀も文政七年に行われた偏角の測定の時には四尺の象限儀が使用されました。これは伊能忠敬が使用していたものと同じではないかと思われます。また、この象限儀を改良して一尺ほどの象限儀が製作され、金沢測量に使用されています。

 また、麻田立達製作の望遠鏡も加賀藩で使用されています。


4.麻田剛立のネットワークの思想の系譜
 加賀藩では各自役割分担をもって、集団で彗星観測を行っています。このような集団での観測は当時珍しいもので、麻田派が行っていたものを太冲が見習ったものではないかと思われます。また、麻田派特有の全国で観測された結果を中央に集め、分析するというネットワークの思想も加賀藩でも見受けられます。



富山市科学博物館富山市天文台
作成 2007-07-04
最終更新 2007-07-12
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