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西村太冲史料




手紙史料


太冲の手紙などの文書資料(著書はこちら)を紹介します。

資料名 年代 解説
麻田剛立への手紙 年不祥(天明六年1/18は誤り:寛政七年以降) 河崎倫代氏により天明六年の手紙は成川九百郎の手紙であることが判明
間重富から高橋至時宛 寛政8年11/24 太冲の象限儀という表現があります。
麻田剛立からの手紙 寛政9年12/10 近世日本天文学史上
間重富から高橋至時宛 寛政11年9/6 太冲が加賀藩から手当てをもらっていないこと
高橋至時から間重富宛 寛政12年11/10 太冲が加賀藩からやっと手当てをもらったこと。まだ未熟であること。
高橋至時から麻田立達へ 享和三年閏一月二十八日 太冲が一生懸命勉強していること
伊能忠敬測量日記 享和3年5/20 太冲は大坂へ両三年逗留し、その後度々出坂していること
高畠秋平への手紙 1809年か2/28  西川栄一 西村太冲書簡から
石黒信由への手紙 寛政12年〜享和2年 石黒信由遺品等高樹文庫資料の総合的研究第二輯より
遠藤高mへの手紙 天保三年  西村太冲事蹟より
石黒信由への依頼状  四月二十二日 城端紺屋文左衛門子息五左衛門入門:高樹文庫資料目録


実際の内容


1.西村太冲より麻田剛立宛書簡:年不祥
二白。口外御願申上候。當年七曜暦五星
   年中皆分秒ハ入用なし。正月一日、二月一日ばかりニて宜敷候
宿度分秒まで御書加可被下義愈可成義ニ御座候。
合伏時刻も退衝時刻も御書記可被下様奉存候。且寛政暦法

  五星    伏見限度
  土星    十一度
  木星    一十度
  火星    一十一度五十分、但し度下百分
  金星    五度
  水星    一十度

    右之通相違も御座候哉。乍恐御聞合可被下奉願候。
                             以上。

                               西村太冲拝

正月十八日
麻田先生     衆上


2.間重富より高橋至時宛書簡:寛政八年(1796)十一月二十四日付
(前略)糸まさを三両ニて弐本買申候、仲間之■を五百枚ト、多仲之象限儀ト、又又小子之三尺之象限儀を取申し候。(後略)


3.麻田剛立より西村太冲宛書簡:寛政九年(1797)十二月十日付
暦術もたんたん被成候御儀奉存候。根元は口外御傅え申候。歳実消長ニ而其歳之諸数御求被成候元ニ成り、其後ハ全く密法之通りニ而食算何角御行可被成候。 交周轉等并止交冬至等皆々消長法之通りニ御座候、

右之通り何角共ニ消長法御取用ひニ相成候事故、消長法共ニ惣雲上公儀迄差上之初第一巻之■初ニ有之御儀故秘書ニ而御座候間、左様思召可被申候。消長法小子大坂ニ而立候儀故、あ之ま丶ニ而御行ひニ而京師之数ニ相成り、即来午ノ暦ヨリ御取用ひニ而御改暦宣下候。寛政暦とも 仰出候。先々申候。恐悦至極奉存候。 「先生新筆 丁巳十二月十日書」


4.間重富より高橋至時宛て手紙:寛政十一年(1799)九月六日付
西村儀も耻入候哉。一向ニ手帋(てあて)を差越不申候。
此レ、小子之例の余り心付を過し候故ニ、今更少し当り候事有之、氣毒ニ被存候故、返気の毒ニ奉存候。頃日住吉屋左衛門下向ニて委く承候處、何之沙汰も無之、此間之手紙差遣し力ヲ付可申奉存候。来暦推歩も、上よりニてハ無之候。

元来城端之奉行より推挙ト相聞、奉行大にひいき致、先達も何ぞ人の目を驚し候程ノ儀 無哉と被申候○無之答申候○。又も其後来暦之儀被申候よし、左候得奉行ニも彼是心配と奉存候。

全く御存之御察之通之人柄故ニ素人すき致不申被奉存候。天命致方無之、しかし何れニも片付可申候得共、格別之召出候も無之候哉可申候奉存候。被仰下候通、最上相応之論全く左様ニ奉存候。存出し一笑に奉存候。若し、不埒者ニ候ハ丶、京師の住居ニも仕度之由、尤ニ奉存候。

しかし、何レニも下より彼是願出候儀あしき、彼人も止メ申候よし。金沢出府後、壱合の米も被下不申、勿論御手持なく、はたご屋ニ而止宿、城端の居所之町へ申付候よし、扨も国風と乍申驚入候致方、大公儀甚以難有事ニ今更奉存候。其故ニ存外に心配と被存候。いたわしき事ニ御座候。

小子も小人心ニて、上方成と引立可申候哉奉存候得共、国人国主より之自由ニ付、其儀難成、却親族或忰とも難儀筋ニ可相成候哉奉存候余りニ存候。


5.高橋至時より間重富宛て手紙:寛政十二年(1800)十一月十日付

越中の太冲義、国主より手当を被呉候由、書面為御見、忝奉存候(かたじけなく存じ奉りそうろう)。何様少々なから訳立候安心仕候。

何と申も致し人少ク候故、先是程ニ者成申候。弥出精被致かしニ御座候。当春来も両三度書状参り候。未た不熟之事多相見へ候。若先ニ巧者之人有候ハハ、行当り可被申候。此道未開け不申候故、多くハ不案内故、夫ニ而済候得共、既ニ如此加州領内ニ而の天文者と名指有之候、不熟事有之候ハ、気毒奉存候。何卒一年ニ五六十日程ツ丶其御地登り修行もあれかしニ御座候。

此人始終御世話ものと相見候



6.高橋至時より麻田立達宛て手紙:享和三年(1803)閏一月二十八日付
 西村より之書状之趣被仰下忝奉存候。此人不相替出精之由ニ而御同悦仕候。




関連の資料(著書はこちら


資料名 説明 所蔵場所または出版先
加賀藩資料 加賀藩に関する歴史資料をまとまたもの 前田育徳会
御次御用御絵図留帳 河野久太郎の金沢測量の日記 金沢市立図書館 河野文庫
稀雄翁卒去中陰留 小原治五右衛門一白 手記  
小原家文書  説明 小原家文書
石黒信由の書状書留帳  説明  前田育徳会
文政八年尾星実測  説明 金沢市立図書館 河野文庫


関連実物の資料


資料名 説明 場所
渾天儀 小原一白 文化9年作 城端町:教育委員会
  城端町:神明社
墓碑   金沢市野田山
生家跡   城端町 


最近の資料


書名 刊行年 著者・編者
西村太冲事蹟 1934 洲崎哲二編:西村先生碑建設協賛会
改訂増補郷土数学 1937 田中おの吉
間重富とその一家    渡辺敏夫 
城端町史 1959 城端町史編纂委員会
郷土に輝く人々 「西村太冲」   西川栄一
日本の暦   渡辺敏夫
明治前天文学史 1979 日本学士院
近世日本科学史と麻田剛立 1973 渡辺敏夫
暦学史大全 1986 佐藤政次
近世日本天文学史 上下 1985 渡辺敏夫
特別展解説書「加賀藩・富山藩の天文暦学」 1987 富山市科学文化センタ−:渡辺誠・布村克志
城端時報「西村太冲と小原一白」 1988 小原治五右衛門
地図の記憶 1999 竹内慎一郎
大分県先哲叢書 麻田剛立資料集 1999 大分県教育委員会
越中城端の人−加賀藩天文暦学者 西村太冲 2000 河崎 倫代
越中城端の人−加賀藩天文暦学者 西村太冲 2000 河崎 倫代
「金沢十九枚御絵図」の制作技術の研究
科研報告書「遠藤高mを中心に行われた加賀藩の技術文化の研究」
2006 渡辺誠・布村克志・安井利行・中村哲也
金沢城城鐘の時刻制度の研究
科研報告書「遠藤高mを中心に行われた加賀藩の技術文化の研究」
2006 渡辺誠・布村克志・市瀬和義
加賀藩・富山藩で行われた彗星観測の研究
科研報告書「遠藤高mを中心に行われた加賀藩の技術文化の研究」
2006 渡辺誠・布村克志
加賀藩で行われた偏角の測定とその目的
科研報告書「遠藤高mを中心に行われた加賀藩の技術文化の研究」
2006 渡辺誠



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作成 2001
最終更新 2007-07-12
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