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クリスマスツリーの一番上にある星は何?

勘のいい方なら、この星はイエス・キリストを表しているのだろうと思うかもしれません。しかしその星がキリスト自身というわけではないんです。その星は、イエス・キリストが生まれた時にそのキリストの頭の上で輝き始めたと言われている不思議な星で、「ベツレヘムの星」と呼ばれています。
聖書によると東方の博士がこのベツレヘムの星に導かれ、生まれたばかりのキリストに会い、三個の贈り物を贈ったと書かれています。一時的に非常に目立つ星がこの時にみえたかもしれないわけです。



上の写真は東京の街角で撮影したクリスマスツリーです。確かにツリーの一番上には星が飾られていますね。


その星はホントにあるの?

実はわかっていません。大変明るい宵の明星(金星)、彗星、超新星、変光星、木星と土星の会合などいろいろな説があるのですが、いまだに確かな事実はつかめていないのです。金星は普段から見えるので、何もこの時だけとは限りません。彗星、超新星は中国の記録に書き残されています。残念な事にキリストが生まれたと考えられる頃には中国には記録がありません。有名なハレー彗星は紀元前12年に見えました。変光星は明るさの変わる星ですが、この頃に特別明るく輝いた変光星があったかどうかは不明です。最も有力とされたのが木星と土星の会合説です。


木星、土星の会合説

ベツレヘムの星に関するいろいろな説が上がっていますが、最も有力とされているのが「木星・土星会合説」です。会合とは、二つの惑星が接近することで、惑星の運動法則を提唱したヨハネス・ケプラーによると、紀元前7年頃にうお座付近で木星と土星の会合が起こっていることがわかりました。

さらに、昔の占星術によると、木星は「王の星」、土星は当時最も遠い惑星だったため「盾」、そしてうお座は「ユダヤ人を象徴する星座」と考えられていたようです。 そのため、うお座での木星と土星の接近は、「ユダヤ人を守る王が生まれる」と解釈されていたようです。このため、このうお座での木星と土星の会合、しかもめったにない3連会合(同じ場所で3回接近と離合を繰り返す現象)だったため、かなり注目されただろうと思われています。

しかし、新約聖書の最初にある「マタイによる福音書」の中には、ベツレヘムの星は単数で記されているのです。よってこれが惑星の会合であったかどうかは疑問の残るところです。


クリスマスって何の日?

一般に知られているのは、キリストの誕生日だということです。しかし、実際本当にそうなのかどうかは不明なのです。キリストの誕生日に関する記録は残されていないため、正確な日付はわからないからです。

ローマでは12月の「冬至」に太陽を祭るお祝いをしていました。冬至とは一年で一番昼が短い日のことです。それまで次第に短くなっていた昼が、この日を境にまた長くなっていきます。そのため、光が弱まっていた太陽が冬至にふたたび力を取り戻し始めることを祝ったのです。さらに273年になると、ローマ皇帝アウレリアヌスは12月25日を太陽神の誕生日と定めました。キリストは「正義の太陽」、「世の光」と呼ばれていることから、336年、当時の教会はこの祭日を利用してイエス・キリストの誕生を祝う日と定めたのです。


クリスマスツリーの歴史

クリスマスツリーの記述の最初は1600年代と言われています。ドイツのアルザス地方では家の居間にもみの木を立てて、あらゆる色の紙から切り抜いたばらの花やりんご、ウェハースや角砂糖をぶら下げました。そして、しばらく時が経つと、子供たちがこの木をゆさぶってそれをもらうことができたそうです。
18世紀にはドイツの他の地方にも伝わり、たくさんのろうそくで飾られ、その後ヨーロッパ各地に広まったと言われています。


世界のクリスマスツリー

クリスマスツリーと言えば、もみの木のような常緑樹を思い浮かべますが、そのような木がないところもあります。例えば、南太平洋のフィジー諸島では布でクリスマスツリーを作っています。オーストラリアでは真夏になりますので、サンタさんがいるかに乗ってやってくる絵が飾られていました。また、ゴールドコーストにあったツリーは葉が少ない木で、プレゼントで飾られていました。

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作成 1997
最終更新日 2011-08-17
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