ホタルが照らすもの

根来 尚

 

 毎年梅雨の頃になると、ホタルが話題にのぼる。センターにも「いつどこへ行けばホタルが見られるか」という質問がよせられる。闇の中での光りの明滅は、人それぞれにその心を照らすものがあるからであろう、ホタルは子供から大人まで本当に人気のある昆虫である。今(7月)は、既にゲンジボタルの出現期は終わり、ヘイケボタルが最盛期といったところであろうか。最近「ホタルを放すイベントをやるところはないか」という質問がよせられた。この質問には少々考えさせられた。この質問者はホタルをどのようなものとして捉えているのか気になったのだ。カブトムシ、クワガタムシなど養殖品が普通になってしまって、ホタルの養殖も可能な現在、私のように、ホタルの棲む自然を、そこに住む人と自然との関わりを含めて、まるごと楽しみたいなどというのは「オクレテル」のだろうか。ホタルを見るにも、確実に見られるとは限らない自然のホタルを探すなど、今風ではないのかもしれない。ホタルの成虫を放すイベントは、かって富山県内でも行われたことがあるし、東京あたりではホテルなどで行われているとも聞いている(今年1998年から止めるところもあるそうだ)。しかし、これは一種の玩具としてホタルを見ていることになりはしないだろうか。生き物としてのホタルの一生から、光って飛び回る成虫の一時期を切りとって愛玩する。こういった態度は「自然豊かな富山」県人としては少々情けないのではないか。では、ホタルをその一生ごと愛玩するという態度はどうか。それにも少々問題が生じることがある。それは、往々にして「ホタルだけ」を愛玩するという状態に陥る。そこからは、ある場所にカワニナとホタルの幼虫を大量に放して、なんとかホタルが発生するようにしようとか、小川を作ってそこで半自然的にホタルを育てるなどの状況が結果する。これはホタルの養殖と実質的には変わらない。ホタルは広く人々から愛される昆虫である。それだけに、ホタルに対してとる態度によって、その人の自然に対する姿勢が照らし出されるのだ。などと考えるのだが。


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