春のプラネタリウムの話題

江戸時代に外国に行った富山の人

 

 今から170年前の1838年、今の富山市岩瀬を出た船が北海道に行った後、仙台沖で嵐に会い、遭難しました。その後、漂流している間に、10人いた乗組員の内、3人が亡くなってしまいました。約5か月後にアメリカの船に助けられ、その後、外国に行き、色々なことを見聞きし、約4年後に日本に帰ってきました。この間に3人が亡くなり、郷里の富山に戻ってきたのは4人だけでした。その4人は鍛冶屋太三郎、土合屋六兵衛、米田屋次郎吉、中野屋金蔵という人でした。太三郎、次郎吉は現在の富山市岩瀬の人、六兵衛、金蔵は射水市の海岸沿いの人でした。

 

 助けられた船は鯨を捕る船でした。船には5か月滞在し、鯨を捕る手伝いをしました。その後、ハワイに10ヶ月、ロシアのカムチャッカに9か月、ロシアのオホーツクに1年、アラスカのシトカに半年滞在しました。この間、ハワイではさとうきびの収穫などの仕事を手伝ったり、ハワイの新聞に彼らから日本のことが紹介されたりしました。当時は、日本は国を閉ざしていたので、外国のことは全然知られていませんでした。彼らは洋服を着たり、フォークやナイフで食事をしたり、ダンスパーティに出席したり、一人は病気で入院したりと見るのも聞くのも初めての経験ばかりでした。

 

 彼らも与えられた場所で熱心に情報を得ようとしました。天文関係では、外国で見た星空は北極星の高さがハワイでは日本より低く、カムチャッカやオホーツクでは日本より高いことを観察しています。これは地球上の緯度の違いを表わしています。アメリカ船内では日食をみました。その形と時刻の情報から、それはいつ、どの場所かを特定できました。また、当時の暦は月を中心とした複雑な暦でしたが、彼らは月の形を見て、月日を計算し、帰国したときは本当の暦と1日にしか違っていませんでした。これらのことから、彼らの見識の深さがうかがえます。

 

覚えた言葉はハワイ語、英語、ロシア語の3か国の言葉です。それが後にまとめられました。その一部を右に紹介しておきます。

 

彼らの見聞きしたことは「蕃談(ばんだん)」「時規物語(とけいものがたり)」という本にまとめられ、後世に伝えられました。