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とやまと自然 第20巻 夏の号(1997年)
富山からいなくなった水草

太田 道人・坂井 奈緒子

平成6年に富山県内の水辺の植物を調査したところ、かつては平地の水辺にすんでいた植物のうち少なくとも11種が、今では県内で見られなくなりました(表、図1)。なかでもトチカガミやガガブタは、十数年前まで各地の池や沼に普通に生育していた植物です。消えた水草のすみ場所の多くは、田んぼや池、沼、潟といった水辺でした。
多くの水草が姿を消した原因は、何なのでしょうか。


■オニバスがいた潟
 氷見市にはかつて、十二町潟とよばれる広大な潟がありました。潟は海岸のあさい湖で、波や川の流れの影響でたまった砂によって海と区切られてできたものです。この十二町潟には多くの水辺の植物がすみ、県内ではここにしか生育していなかった植物もいました。
 直径2mにもなる円形の大きな葉を水面に広げるオニバスもそうで、舟を漕ぐときのじゃまになるくらい水面に浮いていました。また、トミヨやフナ、コイ、ナマズ、ウナギなどの魚にとっても大変すみ心地のよいところでした
。 昭和40年代に農地の改善や拡大、水害の防止などを目的として、潟の水を抜く排水路と排水施設がつくられました。やがて、潟は縮小し、消失していくとともにオニバスをふくめ、そこにいた水草、魚の多くは追いつめられていきました。オニバスの減少には、潟の縮小の他に、その頃、食用に輸入されたアメリカザリガニが潟で増え、オニバスの茎を食べたことも追い打ちをかけたと考えられています。

表 富山県内の水辺からいなくなった平地の水草リスト
*印がつく種は(図1)に示されています。
和名(科名)生息していた場所
ミズニラ(ミズニラ科)小杉町勅使ヶ池
富山市堀川・四方の湿地
センニンモ(ヒルムシロ科)氷見市十二町潟
イバラモ(イバラモ科)小杉町上野池
富山市五福富山大学横の小川
氷見市十二町潟
マルバオモダカ(オモダカ科)小杉町サンビョウガ池
小杉町の丘陵地の池
トチカガミ(トチカガミ科)*黒部市生地・富山市太郎丸・福野町安居の池、沼
氷見市十二町潟の潟
オニバス(スイレン科)*氷見市十二町潟の潟
ガガブタ(リンドウ科)黒部市生地の池、沼
氷見市十二町潟の潟
アサザ(リンドウ科)氷見市十二町潟の潟
ミズネコノオ(シソ科)富山市東老田・古沢の水田
マルバノサワトウガラシ(ゴマノハグサ科)入善町入膳・柳原の水田、あぜ
オオアブノメ(ゴマノハグサ科)入善町本村の湿田
ヒシモドキ(ゴマ科)*八尾町保内の池、沼

■平地の溝にもいたミツガシワ
 私たちは降った雨を早く排水するために、家庭で使った水をよどみなく川に流すために溝をどんどんコンクリート化してきました。田んぼの用水でも側面や底をコンクリートにしてきました。コンクリートは、速く水が流れさり、草も生えないので、大変すばらしい材料です。しかし、このことが水生植物のすみ場所を奪いました。
 今から、10年くらい前、ミツガシワという比較的高い山の湿地に生える植物が、黒部市の平地を流れるわき水のふちに生えていました(図2)。約9度〜14度の安定した水温のわき水がミツガシワの平地での生育を可能にしていたと考えられています。
 そのミツガシワが生えていたところは、今もわき水が流れ、近くにはこんこんと水がわき出していますが、残念なことに水路はコンクリートでつくり変えられてしまいました。ミツガシワは消え、その新しい水路には、どんな水草も生えていませんでした。


■田んぼの除草剤
 私たちが毎日のように食べる米は安定した収穫がえられるように、農薬や除草剤が使われています。少し前までは毒性の強い薬が使われていたために、水草や魚、タニシなど多くの生き物がいなっくなってしまいました。
 オオアブノメやオオアカウキクサ、トチカガミ、アサザは、除草剤の影響で姿を消してしまったと考えられます。

■帰化植物との競合
 多くの水辺の植物が、人の影響ですみ場所を追われて減りつつある一方で、増えた植物があります。
 水草のコカナダモやオオカナダモ、水ぎわに生えて黄色い花を咲かせているキショウブがそうです(図3)。コカナダモ、オオカナダモは北アメリカ原産、キショウブはヨーロッパ原産の帰化植物です。
 人によって運ばれてきた外国の植物の中で、日本の気候にうまくあったこれらの植物は、全国各地に広がりました。コカナダモ、オオカナダモは植物体が切れて増えるため、もうれつに増え、以前からいたクロモやヤナギモなどの水草のすみ場所をうばうようになりました。もとから日本にいた水草にとっては、すめる水辺が減ったことに加えて、帰化植物とのすみ場所のとりあいが大きな痛手になっています。


■水草の未来
 このような水辺の植物たちが生育の危機におちいっていることがわかってきたことに加え、良好な自然のある水辺での自然体験の必要性、水の浄化能力の高さなど、水辺の自然の大切さが最近になって見直され始めました。河川の改修などは、水辺にすむ生き物のことを考えて植物の回復が早くすすむように配慮した工法が工夫され、また少しずつ行われるようになりつつあります。このことは、水草の未来に明るい光を投げかけています。また、農薬や除草剤の低毒化で少しずつ水草が戻ってきているようです。
 私たちの身の回りからこれ以上水草が消えていかないよう、そして水草や水辺の生き物たちがたくさん戻ってくるような未来をみんなでつくっていきたいものです。

(植物担当 おおた みちひと・さかい なおこ)
参考文献
大田弘・小路登一・長井真隆(1983):富山県植物誌,廣文堂.
氷見市教育委員会(1997):氷見のさかな,氷見市教育委員会.
堀与治(1994):オニバス回生記,氷見春秋第30号.39-41項.
富山県水生植物研究会他 編(1996):富山県の水生生物,149-205項.富山県生活環境部自然保護課.
第20巻 夏の号 目次

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最終更新 2008-03-25
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