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とやまと自然 第20巻 冬の号(1998年)
春を告げる川魚、サクラマス

田子 泰彦

●春を告げる使者の到来
冬も真っ最中の1月。神通川では寒風が吹きすさみ、河原には辺り一面に雪が積もっています。川は冷たく流れ、川底は垢(藻類)が腐っているかのように、どんよりとして見えます。川には魚はおろか、生き物の気配さえ感じられません。しかし、そんな川にも実はひそかに「春を告げる使者」がすでに来ているのです。その魚とは、全長は約60cm、体重は3kgをゆうに越える、全身を銀白色の鱗に包まれた幻(となりつつある)の大型魚、サクラマス(表紙写真)です。  現在は、神通川でのサクラマス漁は2月頃から始まりますが、資源が多かった昔は、1月でもとれました。寒マスと呼ばれ、脂がのっていてとてもおいしいので、値段も高く、川漁師にはたいへん喜ばれました。現在でも数はごく少ないものの、もう1月には神通川に上って来ているサクラマスがいるのです。  神通川でのサクラマス漁の盛期は5月(図1)で、ゴールデンウイークを過ぎる頃からが特によいようです。現在神通川で行われている漁には、流し網漁(写真1、2)、流し刺網漁、そして投網漁(写真3)の3つがあります。

図1.神通川のサクラマスの月別漁獲割合(平成6年)
写真1.庄川での流し網漁
2そうの舟が八の字型になって網を流す
写真2.網にかかったサクラマス
2そうの舟は寄せられる
写真3,神通川でのサクラマス投網漁
新婦大橋下

 流し網漁とは、川の中下流域の大きな淵で2そうの川舟を上流から下流に向かって八の字型に網を流して、網に入った魚をとるものです。1そうの川舟には、竿または櫂を持って舟を操作する人と、網を持つ人がいりますので、合わせて4人が必要です。  流し刺網漁とは、行う場所もやり方も基本的には流し網漁と同じなのですが、舟は1そうしか使わず、もう1そうの代わりに樽(ポリタンク)を使って網を流して、網に刺さった魚をとります。
 投網漁は網を打つ人が舟の舳先に立ち、舟のトモ(後部)にいる人が舟を操作します。前2つの漁と違って、投網漁は下流から上流に向かって網を打ち、網に入った魚をとります。投網漁は川の大きな淵の他に、瀬や比較的小さな深みでも行えますので、上流から下流域までどこでも行えます。
 魚の多かった時代は、漁の主体は流し網漁や流し刺網漁で、それらは江戸時代からの長い伝統がありました。しかし、河川環境が大きく変化して大きな淵が減り、数が減ってしまった現在では、流し網漁や流し刺網漁は衰退し、まもなく神通川から姿を消そうとしています。

●サクラマス(桜鱒)とは
 富山に住んでおられる方なら誰でも、駅弁で有名になった富山名産「ますのすし」(写真4)を一度は食べたことがあるかと思います。そう、サクラマスはその原料となっている魚なのです。昔、神通川で多くとれた頃は、「ますのすし」の原料はすべて神通川産のサクラマスでしたが、数が少なくなった今では、「ますのすし」の原料をすべてをまかなうことはできなくなりました。神通川産の天然サクラマスで作った「ますのすし」は大変、美味で貴重なものとなっています。

写真4.富山名産「ますのすし」
 サクラマスは「すしのネタ」として有名ですが、刺身にしても絶品ですし、塩焼きや煮物にしても大変おいしいものです。サケと同様、魚のどこも捨てるところがないと言われています。しかし、残念なことに、富山のどこの魚屋さんやスーパーを探し回っても、神通川産のものが売られているのを見つけるのは、ほとんど不可能です。サクラマスは庶民には、なかなか手に入らない魚となってしまいました。  神通川の漁師達どうしは、いまだにサクラマスのことを「サクラマス」とは呼んでいません。もちろん、漁師達も標準和名のサクラマスを知ってはいますが、神通川ではあくまでマスはマスです。「マス」あるいは「ホンマス」と言っています。富山でもサクラマスという名が定着したのはごく最近のことです。従来は神通川のマスも単に「マス」でよかったのですが、マスメデイアの発達により、マスにもいろいろなマスがあることが分かってきました。たとえば、サケ科魚類の標準和名のサツキマス、カラフトマス、マスノスケ、カワマス、または俗称や商品を指している青マス、紅マス、塩マスなどです。特にサクラマスによく似たアマゴの降海型をサツキマスと呼ぶようになってからは、サツキマスよりも優れたマスとしてはっきりと区別したいためにこのように呼ぶようになったと思われます。

 では、この名前の由来は何でしょうか。先に出たサツキマスは長良川では5月、サツキの花の咲く頃に川を上るというので、元岐阜県水産試験場長の本荘さんという方が名付けられました。サツキマスの命名よりもっと以前に、最初にサクラマスという名前を用いたのは魚類学者の大島正光博士らしいですが、名前の由来はあいまいらしく、サツキマスと同様、サクラ(桜)の咲く頃に川を上るから、という説が最も有力です。とにかく、サクラマスは富山に一足早く春を告げる魚なのです。

●サクラマスの一生
 サクラマスは秋(10〜11月)、河川の上流域で産卵します。ふ化した稚魚は冬の間を小砂利の中でじっとして過ごし、春をむかえます。春には小砂利から出てきて、岸辺の緩みに集まり、ユスリカ、カゲロウなどの水生昆虫を食べてひっそりと成長しながら、雪解けの増水に乗って、下流域に広く分散します。
 そして、6月下旬頃のアユの解禁日。それまでベールにつつまれていた稚魚が、鮮やかなパーマーク(だ円形の模様)を体側面に出現させて、突然人間の前に姿を現します。この稚魚は、一般に言う「ヤマメ」のことです。ヤマメとサクラマスは同じ魚だというと、「えー、ヤマメってサクラマスの子供なの?」とおどろかれる人が多いですが、親のマスも子のヤマメも学名は同じサクラマスで、同一種です。神通川では飛行場付近から上流で、庄川でも高速道路辺りから上流のいたるところで、稚魚がアユの網に入ります。この時期のアユの網漁による稚魚の混入状況で、昨年のサクラマスの産卵量、稚魚の育成状況の一端をうかがい知ることができます。稚魚は体長9〜10cm、体重10〜15gで、同じ時期の増殖場で飼育されている稚魚と比べて魚体は大きいし、何と言っても幅広く、脂びれや、尻びれ、尾びれに発色している朱色がとても色鮮やかです。
写真5.銀白色の鱗に包まれた降海型の個体
(上段:1才魚)河川残留魚(中段:1才魚)
下段は河川生活中の稚魚(0才魚)
 夏の間、人間のアユの網漁という捕獲をかいくぐって生き残った稚魚は、翌年の2月頃になると、体型はより細長く、しなやかになり、鱗は銀白色になり、パーマークも徐々に見えなくなって、海に降ろうとする個体が出てきます。この時期前後に海に降る個体(生まれた稚魚の約60%)と河川に残る個体(ヤマメとよばれる)に徐々に分かれていきます(写真5)。海に降る時期は3月から4月、盛期は3月下旬から4月上旬頃です。降海魚は体長13〜15cm、体重25〜35g、その7〜8割が雌です。
 富山湾に降ったサクラマスは、遠く日本海北部からオホーツク海にかけて1年間の大回遊をします。しかし、行く手にはいたるところで定置網、ひき網、刺網といった人間の漁業という難敵が待ちかまえています。これらを奇跡的に逃れた個体は、翌年の春、自分が生まれた富山の川に帰ってくるのです。ふ化した稚魚が降海し、再び母川に帰ってくることができるものは、千匹のうち、2、3匹。春、神通川で漁獲されるサクラマスは、エリート中のエリートなのです。
 無事、生まれた川に帰ってきた親は、淵に潜みながら今度は鱒漁によって狙われ、また夏の間は鮎漁によっても体力の消耗をよぎなくされます。このような試練を経て、秋には再び上流域へ遡り、サクラマスどおしあるいはサクラマスと河川に残留したヤマメのペアで産卵の後、まる3年の命を閉じます。



●サクラマスの激減
 明治40年頃には、神通川では160トンものサクラマスが漁獲されていました。しかし、その後の社会の発展に伴い、発電用や工業用、農業用、飲料用の水が大量に必要となったために、ダムや堰堤の建設などの河川の開発が進められ、河川は劇的に変化しました。これらにより、それまで河川の上流域まで遡上したサクラマスは、ダムより上流には上れなくなりました(図2)。
図2.富山県における主要ダムの位置図 (サクラマスが遡上できるのは最下流に位置するダムの所まで)
 神通川にはこの他にも、アユやサケなどの多くの魚類が生息しています。そのサケやアユもダムや堰堤の構築により大きな影響を受けましたが、サケやアユは産卵場や稚魚の育つ場所が現在あるダムや堰堤よりも下流域にありました。ところが、サクラマスの場合はダムや堰堤の上流域に、つまり山間部に産卵場や稚魚の育つ場所があったために、ダムや堰堤の構築により大部分の産卵場と稚魚の育成場を失ったのです。このため、サケやアユ以上に大きな痛手となりました。
 また、ダムから下流域でも治水のための護岸工事や河川改修などの河川工事や建設用に使用する砂利・土砂採取が数多く行われ、工業用や農業用として多くの水が取水されたために、河川は大きく変わってしまいました。このために、河川に遡上してきたサクラマス親魚の隠れ場がなくなり、稚魚の生育場もさらに少なくなりました。
 かつて多くの漁獲量を誇ったサクラマスも、現在の神通川では5トン程度しかなく(図3)、まさに、神通川では危機的な状況にあるのです。サクラマスは淡水魚類(遡河性魚類)の中ではもっとも河川の変化の影響を受けた魚と言えるかもしれません。  現在、サクラマスを増やすために神通川だけでなく、庄川や黒部川でも各漁協が稚魚の放流を積極的に行う(写真6)などの懸命の努力がなされていますが、3年の生涯のうち、2年を川で過ごさなければならないサクラマスにとっては、現在の河川環境ではなかなか増える状況にありません。

●自然な川のシンボル、サクラマス
図3.神通川のサクラマス漁獲量の経年代(10年の平均)変化
 ちょっと前までの日本でしたら日本海に注ぐ河川や、東北地方や北海道の河川にはたくさんのサクラマスが上って来ました。富山県でも神通川や庄川などの大河川はもちろん、早月川や片貝川、小川といった川にもごく普通に多数が遡上したものです。ところが、富山県では今では神通川でしか漁業が行われなくなり、庄川では流域住民の記憶から、かつて庄川には多くのサクラマスが遡上し鱒漁が盛んに行われた、ということさえ消えようとしています。

写真6.神通川におけるサクラマス幼魚の放流
(新婦大橋下流)
日本を見渡しても現在サクラマスが多く漁獲されている川は、河川で漁業が行われていない北海道を除くと、山形県の最上川、新潟県の信濃川、そして神通川ぐらいです。先にも述べましたように、サクラマスの上る川というのは、昔のままの自然な部分が多く残っている川なのです。ということは、逆に言うと、日本からいかに多くの自然な川が消えていったか、ということが言えるかと思います。
 私も魚が大好きで魚の研究をしていますが、いくら魚が好きといっても、サクラマスに限らず多くの魚がいなくなってしまっては仕方ありません。現在は、魚の住んでいる周辺の環境を守ることを考えないと、魚が釣れない、見れない、さわれない、という時勢になってきました。
 魚は放流さえすれば増えるものではありません。放流さえすれば魚が増えるなら、今ごろは、日本中の川や海は魚で満ち溢れていることでしょう。ところが実際は、魚は徐々に減ってきています。世の中(自然)はうまくしたのもで、そう人間の都合の良いようにばかりは事は運ばないものなのです。自然の偉大さには、人間の浅はかな知恵など到底及ぶべくもありません。自然で良好な河川環境があってはじめて、魚は増えるのです。
 サクラマスはよい河川環境のシンボルです。サクラマスがたくさん上る川は、自然で美しい日本の川を象徴しています。そういう意味において、私たちは神通川を多くのサクラマスが遡上する川として、末永く子孫に継承していかなければならないと強く思っています。


(富山県水産試験場 たご やすひこ)
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最終更新 2008-03-25
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