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今月の話題:No.17

アユ

富山県の各河川では、6月25日のアユ漁の解禁と同時に、早朝からつり糸をたれる太公望たちの姿が目立つようになりました。

アユを捕える方法には、つりのほかに網・やななどいろいろあります。なかでも、アユの習性をうまく利用したのが“友釣”です。アユは、おもに石の表面につく水あか(藻類)をアユ独特のくし状の歯でけずりとって食べます。この餌となる藻のはえている場所を確保するために、1メートル四方ほどのなわばりをつくり、なわばり内に入ってきた他の魚を追い払ってしまいます。友釣は、このなわばり内に、かぎ針をつけたおとりのアユを放ち、これを追い出そうと体当たりしてくるアユをひっかけてつる方法です。では、アユはいったいいつごろからなわばりをつくるようになったのでしょうか。一つの考えを紹介しましょう。

アユはワカサギやシシャモと同じ、サケ目のキュウリウオ科という冷水にすむグループに属します。今から1千万年ほど前、キュウリウオ科の祖先たちは、北極海や北太平洋の沿岸で生活していました。この分布の南限にあたるアジア一帯で、この祖先たちの中から、川をのぼり、石の表面の藻類を食べて成長するものが現れました。これがアユです。当時、アジアの川にはコイの仲間が栄えていて、底生動物や魚・水草などあらゆる餌を独占していましたが、これを食べるのに都合のよい歯をアユは持っていました。しかし、2百万年ほど前から、氷河期と間氷期がくり返す不安定な時期がやってきました。暖かい間氷期には、藻類の発達もよく量も豊富にありますが、寒い氷期には、発達が悪くなり、しかも海に比べ狭い川の中では量も不足してきます。こうした中で、一匹のアユが生きるためには、必要な藻類の生えている場所を確保しなければなりません。このために、アユはなわばりをつくったと考えられています。

なわばりをつくっていたアユも、秋には成熟し、群をなして産卵場を求め流れを下っていきます。川の流れのゆるくなる下流の砂や小さな礫の上に産卵し、その一年という短い一生を終えます。一方、卵からかえった稚アユは、海へ下り、次の年の春に集団で川をのぼり、おもに藻類を食べ成長します。■

文:南部
発行:昭和54年8月


富山市科学文化センター
作成 藤田 2001.9.24.
最終更新 市川 2001.12.27.
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