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今月の話題:No.283
アスファルトのすき間から生える植物を見たり、取っても取っても生えてくる雑草に手を焼いたりした時、私たちは、「雑草には、どんなに痛めつけられてもめげないような強い生命力がある」と感じます。「雑草のように強くたくましく生きよう」という言葉があることも、このことを示しています。雑草は強い植物だというイメージを持たれることが多いのですが、実は、雑草が強く振る舞うことができるには、ある条件が必要なのです。
私たちが「雑草」と呼ぶのは、どのような植物なのでしょうか。
ミズバショウ:これがもし田んぼに生えてきたら雑草になる | 例えば、ミズバショウは山の湿原に生える植物で、春の白い花が好まれるために大切にされています。しかし、この草がイネを育てる田んぼにどっと生え、イネの栄養を横取りするような場合には、はたして大切にされるでしょうか。まちがいなく雑草として扱われることでしょう。また、ケナフを育てている畑に、もしイネが生えてきた場合には、今度はイネが雑草として扱われることになるでしょう。さらに、庭や公園に植えてもいない草が生えてきたら、じゃまものとして除草されてしまうでしょう。 |
つまり「雑草」とは、人が目的を持って育てている植物以外のものや、目的以外の状態にしてしまうもの全てを指すことが分かります。ある草を雑草と呼ぶかどうかの判断は、人の判断や利害が基準になっているのです。
日当たりのいたるところに生えるコニシキソウ
雑草の中でも、メヒシバやコニシキソウ、スズメノカタビラなど田や畑には必ずといっていいほど生えてくるものを「耕地雑草」、ノコンギクやヨモギ、ススキ、カワラナデシコなど道路や土手に生えてくるものを「人里植物」として分ける時もあります。この文章の中では、これらをまとめて雑草といっています。
土手の草原に多いノコンギク |
空き地に生えてくるススキ |
植物園などには、何種類かの人里植物が、それぞれ群生するように植えられています。花に派手さや鮮やかさこそありませんが、一面に集まるとなかなか美しく見えるものです。この状態で植えられている時には、彼らはけっして「じゃまもの」ではなく、大切な栽培植物となっています。
雑草が生える場所は、耕地、庭、道路、土手など、そこには必ず人間の生活の影響があります。このような場所は、しょっちゅう除草されたり、耕されたり、踏みつけられたりするため、のんびりと生長するような植物はとても生きていくことができません。雑草は、種を大量に作り、すばやく生長し、刈られても地下の根や茎からすぐに再生する力を持って、これをのりきっています。そのような環境を雑草が好むのは、そこがいつも光の十分に当たる場所だからなのです。
仮に、田畑や街に人がいなくなると、一時的には「草ぼうぼう」の雑草の天国にはなるものの、何年かたつと木が生えはじめ、やがて自然の林に近づいていきます。林の中は暗くなっていくので、雑草はあっけなく姿を消していきます。
いつも光があたる地面という、自然でない状態を人が作り続ける限り、雑草は生き続けることができます。雑草を呼び寄せ、強くしているのは、私たち人間なのでした。■
発行:平成13年10月