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今月の話題:No.284

<富山から消えた動物 3>
ニホンジカ

現在、富山県で見られる大きな哺乳類には、ニホンカモシカとツキノワグマがいますが、ニホンジカは最近まで見られませんでした。北陸地方では、福井県にしかすんでいません。富山県にはニホンジカは昔からいなかったのでしょうか?

ニホンジカ
図1.ニホンジカ

ニホンジカの現在の分布

 本州では、ニホンジカは雪の少ない西日本を中心に分布し、石川県から東北地方にかけての雪が多い日本海側には分布していません。ニホンジカは、体重が重いわりには足が細く、足の裏の面積も小さいため、雪が深いと足が雪の中に埋まってしまい活動がしにくくなります。また、ニホンジカは群で生活するために、まとまった餌が必要です。冬でも食べることのできる植物はササ類が中心になりますが、雪で埋まってしまうと食べることができなくなります。このため、多雪地帯では生活できません。そのため、日光などの積雪地帯のシカは、冬には雪の少ない地方へ季節移動をすることが知られています。

明治時代には石川県・富山県にもニホンジカがいた

富山県と石川県では、大正時代終わり頃から最近までの約80年間の狩猟統計(狩猟で捕獲された数)にはニホンジカはほとんどのっていませんので、長い間ニホンジカがいなかったことが分かります。しかし、明治時代には富山県、石川県で鹿皮が生産されていたことが記録に残っています(図2)。

明治時代の鹿皮の生産枚数
図2.明治時差委の鹿皮の生産枚数(データのない年もあります)

石川県では、能登半島を中心に1888年(明治21年)〜1898年(明治31年)に4253枚が、富山県では、1886年(明治19年)〜1910年(明治43年)に県西部を中心に935枚が生産されています。能登半島では、鹿に農作物が食べられ、駆除するために冬に鹿狩りが行われたことが知られています。明治20年頃には、冬の雪の多いときに、鹿を山から海岸に追い出し、海に逃げたものを船で待ちぶせて捕まえた記録が残っています。富山県西部でも明治23〜25年頃、1月の大雪の時に谷に集まった鹿を捕まえた話が残っています。このように明治時代には、能登半島から富山県西部にかけニホンジカが生息していたことが分かります。

ニホンジカは冬の積雪が50cmを越えると生活できなくなるといわれます。北陸地方は雪の多い地域ですが、能登半島や砺波地方・氷見地方では、冬でも雪の少ない地域があることが分かっています。明治時代には冬は雪の少ない地域に移動して餌を食べていたのでしょう。しかし、1個所に集まるとシカが捕られやすくなります。積雪地帯では、冬のニホンジカの生活場所は限られていますので、年々狩りで捕られ、大正時代の終わり頃にはほとんどの地域でいなくなってしまったのでしょう。

最近、富山県では数年前よりニホンジカの姿が時々目撃されるようになりました。全国的にニホンジカは増えています。最近の暖冬で雪が少なくなり、雪が多くニホンジカが生活できなかった地域でも分布を広げているのかもしれません。■

文:南部 久男
発行:平成13年11月


富山市科学文化センター
作成 市川 2001.12.18.
最終更新 市川 2001.12.27.
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