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富山県のニホンジカついて

ニホンジカってってどんな動物?

分布

日本列島をはじめ、北東アジアからインドシナ半島にかけて広く分布していましたが、ベトナム、台湾、朝鮮半島、中国の一部地域などでは絶滅したと考えられています。日本では北海道、本州、四国、九州及びその周辺の島々に分布します。

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ニホンジカ

ニホンジカの特徴

 オスは角を持ち、メスは持たないという典型的な性的二型の特徴をもちます。オスの角は毎年抜け落ちて生え変わります。角は成長とともに大きく枝分かれるようになり、最大で4尖まで枝分かれします。 日本産の哺乳動物ではもっとも顕著にベルグマンの法則(ドイツの生物学者ベルクマンが唱えた説。寒冷な地域に生息する個体ほど体重が大きく、温暖な地域に生息する個体ほど体重が小さいという法則)が現れることで有名です。北海道亜種のエゾシカは体高190cmにもなるのに対し、九州亜種のキュウシュウジカは体高100cmほどです。富山に暮らす亜種ホンシュウジカは体高160cmほどと比較的大きな体格になります。

群れでの暮らし

非繁殖期にはオスとメスで別々の群れを形成して暮らしています。メスは成獣になっても同じ群れで暮らし、オスは生後1~2年すると独立してオスの群れに合流します。繁殖期になるとオスは順位をかけて闘争し、順位が決まると優位なオスから縄張りを主張してメスの群れを囲い、ハーレムを形成して繁殖します。

 

食性

 植物食で、広く日本の生息環境に適応し、周囲に生息する植物を幅広く食べます。イネ科草本、ササ類、堅果類、樹皮、葉、芽などを食べます。下層植生(林床に生える植物)の乏しい環境では枯れ葉や笹の茎なども食べます。近年の個体数急増に伴い、周囲の植生を食べ尽くすことで植生が貧相化する課題が日本中で起きています。

一度は県内からいなくなった

縄文時代の小竹貝塚等で骨が出土しており、富山県内に古くから生息していました。また明治時代までは県西部に狩猟記録が残っています。しかし、その後大正時代には記録が激減し、大正11年(1922年)を最後に記録が途絶えます。この頃から県内ではほぼ生息していなかったと考えられています。これは食糧難での捕獲や豪雪による頭数減少など、複数の要因が考えられています。このあと1990年代までは、1968年10月22日に富山市秋ヶ島でオス成獣1例の記録があるのみです。

急増するニホンジカ

 1979年に実施された自然環境保全基礎調査では、県内の生息記録はありません。その後、1990年代後半に目撃情報が数件出てきます(1998年11月19日朝日町、1998年10月23日婦中町など)。2003年に実施された同様の調査では県西部と県東部の一部地域で生息が確認されたのを皮切りに、2000年代後半から目撃数が急増していきます。捕獲個体数では2004年に3頭が捕獲されて以降、急激に増加し、2009年に30頭を超え、2016年は122頭、令和2年には240頭となり、令和3年度に過去の捕獲頭数から計算した富山県内の推定個体数は約1,160頭(中央値、信用区間90%では約200~30,000頭(階層ベイズ法による推定))となっています。 ニホンジカがどこから来たのかを解明するために2013年から遺伝子調査を県が主導で実施しました。すると隣接する新潟県~長野県と同じmDNA型が県東部を中心に確認され、岐阜県~石川県と同じmDNA型が県南西部から確認されました。また、富山大学の調査によって富山市南部(旧山田村)では、直接隣接しない九州に生息する南日本系列のmDNA型をもつ個体群が確認されました。こちらは自然分布ではなく人為的な移植の可能性が考えられています。以上の2方向からの侵入と県中心部からの人為的持ち込みから始まり、急激に増加していると考えられています。

※階層ベイズ法:モニタリング結果や捕獲効率などのデータを収集・蓄積し、全ての データに最も合理的にあてはまる個体数を推定する統計手法です。

 
この記事を書いたひと
清水海渡
担当:脊椎動物
小さいころから動物が好きで小学生の頃には毎週末バードウォッチングをしていました。高校生の頃に動物の好きな先生に出会い、野山で小さな哺乳類の調査をしたのがきっかけで虜になってしまいました。特にコウモリ・ネズミ・モグラといった小さな哺乳類が好きです。LINK: 学芸員の部屋
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