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第1回[平成15年度]

  ごあいさつ 受賞者紹介 授賞式の様子 科学する心 審査を終えて ノーベル賞と田中耕一さん  

ノーベル賞と田中耕一さん

富山市科学文化センター 専門学芸員(化学担当)  朴木 英治

 富山市出身の田中耕一さんが2002年のノーベル化学賞(日本人としては12番目)を受賞されたことは、まだ記憶に新しいと思います。この年は、東京大学名誉教授の小柴昌俊さん(岐阜県神岡町にカミオカンデを建設してニュートリノに関する研究をした)もノーベル物理学賞を受賞し、日本人として2人同時の受賞となり、これも大きな話題となりました

 ノーベル賞は、よく知られているように、ダイナマイトを発明したスウェーデンの科学者のアルフレッド・ノーベルの遺言によって作られたもので、人類に最も貢献した人に与えられる賞です。ノーベルの遺言には、物理学賞(物理学の分野で重要な発見、発明をした人)、化学賞(重要な化学的発見、改良をした人)、生理学・医学賞(生理学・医学の分野で大きな発見をした人)、文学賞(文学で理想主義的な最良の作品をあらわした人)、平和賞(国家間の友好、軍備の縮小、撤廃、平和会議の組織、理念の普及などの領域で最上最良の仕事をした人)の5つの部門について述べられ、1901年にこれらの5つの分野のノーベル賞でスタートしました。その後、経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞)が1968年にスウェーデン銀行の銀行創立300周年を記念して設けられました。

 ノーベルは科学者としても、企業の経営者としても優秀で、ダイナマイトの製造と販売で築いた巨額の財産は、彼の死後設立されたノーベル財団によって管理され、その利子がノーベル賞の賞金として使われています。

 ノーベルが1866年に発明したダイナマイトは、ニトログリセリンという爆薬を珪藻土などにしみこませたものです。ニトログリセリンは1846年にイタリアのAソブレロによって発見された常温では液体の物質で、振動などによるちょっとした衝撃で爆発してしまうたいへん怖い性質があります。しかし、ニトログリセリンの爆発力はそれまで使われていた黒色火薬よりも強力なので、ノーベルはこれを爆薬としてうまく使いこなすことができると道路やトンネルなどの工事を効率的に進めることができると考えました。しかし、ニトログリセリンは衝撃を与えるとすぐに爆発してしまうのに、導火線で火をつけてもうまく爆発しないこともあるという変な性質がありました。そこで、ノーベルはニトログリセリンを必要なときに爆発させるための雷管という物を発明し、この雷管と組み合わせることでニトログリセリンを爆薬として使う方法を考案しました。こうしてニトログリセリンを使った爆薬は、道路やトンネルなどの工事に利用されるようになり、世界のいろいろな国でも使われるようになりました。しかし、この爆薬が広く利用されるようになると、運ぶときの振動や取り扱いの不注意によって事故も多く発生するようになり、多くの犠牲者も出ました。

 そこで、ノーベルはニトログリセリンを何かに混ぜたりしみこませたりすることで、ニトログリセリンを固めてしまえば安全に取り扱うことができるのではないかと考え、どんな物が使えそうかをいろいろ試しました。しかし、それらの試みはなかなかうまくいかず、たまたま、こぼれたグリセリンが珪藻土にしみ込んで固まっているのを見て、これならば使えると気づきました。そして、珪藻土とグリセリンとをどのような比率で混ぜ合わせればよいのか研究した結果できたのがダイナマイトです。珪藻土は、ケイソウというプランクトンの死骸が海底や湖底などに堆積し、固まってできた土で、小さなすきまが無数にあり、軽くて柔らかい性質があります。この珪藻土はニトログリセリンを運ぶとき、箱の中で容器同士がぶつかり合わないようにするための詰め物として使われていました。

 ノーベルの伝記に見られる雷管やダイナマイトの開発のエピソードの中に彼の優れた着眼点やねばり強く続ける研究スタイルを見ることができます。

 さて、ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんにもノーベルと似たような、優れた着眼点やねばり強い研究姿勢を見ることができます。

 田中さんは高校までを富山市で過ごし、東北大学を卒業後、(株)島津製作所に勤務されました。この会社は、科学研究用の分析機器や病院などで使う医療用の機器などいろいろな機器を作っている会社で、小中学校の理科実験で使う機材も作っています。田中さんは、この会社で科学研究によく使われる質量分析機という分析機の開発の担当者の一人として配属されました(現在は島津製作所の田中耕一記念質量分析研究所の所長を務めておられます)。

 質量分析機は分子(正確にはイオン)1個の重さを測る装置です。質量分析機で分子の重さを測るためには、真空にした容器の中で目的の分子を一個ずつバラバラにし、電気を帯びさせる必要があります。これをイオン化といいます。イオン化の方法として、エレクトロスプレーイオン化法(霧吹きの原理で試料の溶けた液を霧状にし、このときに高電圧をかけてイオン化する)、大気圧化学イオン化法(高温にして分子を蒸発させ、放電によってイオン化する)、田中さんの研究が基となって開発が進んだマトリックス支援レーザー脱離イオン化法(レーザー光のエネルギーでイオン化する)、電子イオン化法(気体にした分子に電子を当てる)、化学イオン化法(気体にした分子を化学反応を利用してイオン化する)、高速原子衝撃法(電気の力を使ってキセノンやアルゴンという気体の原子を高速で試料に当てイオン化する)があります。

 質量分析機によって分子一個の重さを測ることで、その物質が何であるのかということを調べることができます。生物が作るタンパク質はおよそ10万種類もあるといわれており、それぞれ、種類によって重さが違うので、タンパク質1個の重さを測ることで、例えば、そのタンパク質が体のどこで作られた物なのか、正常に作られたタンパク質なのかどうかなど様々な事がわかるようになります。

 しかし、タンパク質の分子はたくさんのアミノ酸がつながってできた重くて複雑な分子のため、これを壊さないでうまくイオン化することはたいへん難しく、世界中の多くの研究者がこの難問に挑戦していましたが、誰も成功していませんでした。そんな中、田中さんは調べたいタンパク質と金属コバルトの超微粉末とをグリセリンという液体に混ぜ、そこにレーザーを当てることでタンパク質を壊さずにイオン化できることを発見しました。これが、「マトリックス支援レーザー脱離イオン化法」です。

 この方法の研究のため、田中さんは、いろいろな物質に金属コバルトの超微粉末を混ぜてうまくイオン化できるかどうかを研究していました。1985年2月に田中さんはビタミンB12を試料とし、これに金属コバルトの超微粉末を混ぜてイオン化の準備をした時、これらがうまく混ざるようにするためにアセトンという液体を入れるはずだったのに、間違えてグリセリンという液体を混ぜてしまいました。グリセリンは、高速原子衝撃法という別の方法で分子をイオン化する時に使うもので、同じ机の上にアセトンとグリセリンが並んでいたのです。

 アセトンは独特の臭いがある蒸発しやすい液体で水のようにサラサラしていますが、グリセリンはどろどろとしており、田中さんはすぐに間違いに気づきました。しかし、金属コバルト微粉末をこのまま捨てるのはもったいないと考えた田中さんは、これを使ってテストしてみました。グリセリンはたいへん蒸発しにくい物質ですが、高真空にしてある質量分析機の中に入れてしまえば蒸発してしまってそのうちに分析ができるようになるだろうと田中さんは考えたのです。この着想はすばらしいと思います。さて、試料に何度かレーザーを当てているうちに、ビタミンB12がイオン化されたことを示す信号が出ていることに気づきました。これは、田中さんの優れた観察力のおかげです。田中さんはさらに実験を重ね、確実にイオン化できる条件を見つけ出し、「ソフトレーザー脱離イオン化法」の開発に成功しました。

 田中さんのこの成功の発表を基に、多くの研究者がタンパク質やDNAなどの生体高分子のイオン化法の改良研究を行い、「マトリックス支援レーザー脱離イオン化法が」が大きく進展し、実用化が進みました。

 田中さんのノーベル賞の受賞理由は「生体高分子の質量分析のためのソフトレーザー脱離イオン化法の開発」で、田中さんの研究成果がタンパク質の質量分析法の実用化のきっかけとなったことが評価された物です。


富山市科学文化センター
作成  2004-02-23
最終更新  2004-02-25
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