![]() | 反対側のしんきろう (第21回) |
そうはいっても見えるのは魚津だけ、観測に出かけるには遠いな。しかし、どうして魚津で見えて反対側の富山では見えないのか。 「冷たい空気と暖かい空気の境界で光は曲がる。晴れた日の午後、魚津沿岸には冷たい空気があってまわりは暖かい空気、冷たい空気がレンズの役目をして魚津でだけ見えるのだ」 でも、おだやかな海の上にそういった境界が作られるのは不自然では? 「なかなかできない。だから蜃気楼もたまにしか現れないの」 この説明が正しいかどうかは確かめるのが一番だと思い蜃気楼が現れるという暖かくて風の弱い日を選んで出かけることにした。昭和61年4月14日、大きな望遠レンズと三脚を持って富山市浜黒崎の海岸に出かけた。 一回でというわけにはいかないが何回か出かけて見て、もし現れなかったら「レンズの説明」で納得しようと思っていた。 現地について、腰を落ち着けるまもなく水橋よりの滑川の街がおかしいことに気づいた。初めて見る景色なのでもとの状態と比較することはできない。それでもあきらかに何か変なのだ。 双眼鏡で見ると建物が異様に伸びている。急いでカメラをセットし夢中でシャターを切った。初めて出かけたその日に蜃気楼に出会えたわけである。 それから蜃気楼との長いつきあいが続いている。その間に蜃気楼には肉眼でもはっきりわかるものから双眼鏡でやっとわかるものまでさまざまなものがあることがわかった。 もし、あの日蜃気楼が現れなかったら、また現れたとしてもわかりにくいものだったら、蜃気楼とのつきあいはなかったかもしれない。(吉村博儀,2000.5.8掲載) |
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