足跡に専門家お墨付き
恐竜化石空白県返上 (第27回)



  
   
   県内で初めて発見された恐竜の足跡化石
   
 科学文化センターにある動く恐竜ロボット「富山のアロ君」展示は、後藤道治学芸員(当時)が、恐竜の足跡化石を県内で初めて発見したことがきっかけだった。今回は、発見の経緯を紹介する。

 後藤氏は、一九八三年三月まで、信州大学大学院で富山県東部の来馬層群の貝化石を中心に研究を進めていた。

 富山に着任してからは県内の地質を調査しながら、福井、石川、岐阜県で次々と見つかる恐竜や恐竜足跡化石のニュースに接し、内心穏やかでないものがあったという。彼は恐竜の専門家ではなかったが、「恐竜化石空白県」と呼ばれ、「まだ見つからないの?」との無言の圧力を強く感じていたからだ。

 「今年も無理だったかな」と思いながら富山大学に教えられた大山町の山中に「念のため」と訪れた一九九〇年十一月。車を止めて、川の対岸のがけ下まで歩いた。がけの下に立って、ゆっくり地層の出ている表面をなめるように観察を始めた。

 突出した岩盤の下面にまで目がいった時、何やら三本の指のような形が岩に付いているのが見えた。「まさか。恐竜の足跡?」。早速これを科学文化センターに持ち帰り、半年ほどかけて計測調査した。

 「どう考えても恐竜の足跡に間違いない」。しかしこれを確認するには、まず専門家のお墨付きをいただく必要があった。専門家としては、福井県の手取層群の恐竜化石発掘を、一線で指揮していた福井県立博物館の学芸員しかいなかった。

 訪問し、一応のあいさつの後、後藤氏がおもむろに取り出した標本。学芸員がじっくりこれを見ること一-二分。「おめでとうございます」。富山県産の恐竜足跡化石第一号が確認された瞬間である。

 これを契機に、富山県内における恐竜研究に、火が付くことになったのである。(赤羽久忠 2000年5月16日掲載)




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