北陸も沖縄並みの気温
恐竜の時代 (第28回)



  
   
   県内で初めて恐竜の化石が見つかった大山町のがけ
   
 普段私たちが山を眺めても、緑の木々や河原の石、冬ならばただ雪が積もっているだけで、その下に悠久の歴史を刻んだ地層や化石が横たわっているとは思いもしない。けれども,当時科学文化センターの学芸員だった後藤道治博士は、木々や河原のすき間に、わずかにのぞく地層を決して見逃しはしなかった。富山の恐竜化石第一号が発見された大山町のがけも、最初は草木に埋もれた目立たないがけだった。

 この発見から二年後の平成四年、基礎調査と新たな恐竜化石発見を目指し、大山町教育委員会と科学文化センターが協力して発掘調査を行った。このとき表層の土が取り払われ、黒光りする地層ががけ全体に現れた。この黒光りする地層は「手取層群」といわれ、北陸に広く分布している。今から一億数千年前の大地の一部である。今でこそ北陸の山々を造る断片となっているが、当時は平坦な大地だった。

 一億年も昔となると日本海はまだ生まれておらず、北陸地方はアジア大陸の東の端、低い山々に囲まれた盆地や低地であったと考えられている。

 大河が流れ、湖沼が点在した。あたりにはイチョウやソテツ、シダ植物などが生い茂っていたに違いない。これら植物は幾重にも重なり、地層の中に化石となって眠っている。そうして植物化石は当時の気候も教えてくれる。どうやら北陸は、現在の奄美や琉球列島の気候のように温暖であったようだ。そんな温暖で水の豊かな大地で、手取の地層は積み重なり、恐竜が歩き、足跡を残した。使い古した歯を落とし、新しく鋭い歯でさらに獲物を追い回した。秋にはイチョウの葉が舞い、ワニやカメが湖面から顔をのぞかせたに違いない。

 この地球に恐竜は確かに存在した。そしてその証拠は、今も富山の山々に残されている。(田中豊 2000年5月17日掲載)




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