なぞだらけのスタート
マリモの研究@ (第42回)



  
   
   タテヤママリモが発見された立山町の池
   
 一九八七年のこと立山町の広明正一さんの自宅の庭の池に生えている変な藻類がマリモではないかと、知り合いの会社員が科学文化センターに持ってきた。専門家に調べてもらった結果、やはりマリモであることがわかった。当時の大きな疑問は、湖に生育するマリモがなぜ民家の池にあるのかということで、北海道の観光地で売られている”おみやげマリモ”が増えたものではないかと疑われた。

 立山町教育委員会はマリモの研究をしている北海道教育大学の神田房行教授を会長とする調査団を結成し、それに立山博物館の吉井亮一主任、科学文化センターの太田道人と朴木英治が参加した。この際、国内のマリモ生育湖沼を調査する機会を得、やはりマリモの研究をしている北海道阿寒町教育委員会の若菜勇学芸員と知り合い、彼の研究グループにも入ってマリモ生育環境の研究が始まった。

 当時、マリモは北海道、青森県、山梨県内の一部の湖でだけ分布が知られていた。日本には水面面積が1f以上ある湖沼が四百八十湖もあるのに、マリモが生育する湖沼はそのうちのわずか二十程度しかなかった。

 "おみやげマリモ"は全国各地に買われて行っているはずであるが、他の場所で自然に増えたという話を聞かないことも考え合わせると、マリモには特殊な水質が必要なのではないかと考えられた。マリモが生育する湖沼の水は塩分やミネラル分など水質組成から三種類ぐらいに分けられたが、マリモのいる湖沼の水質は他の湖沼と際だって異なるものではなかった。

 実はこんな事すら、それまで調べられてはいなかったのだ。立山町で見つかったタテヤママリモに関しても、生育地の井戸水とよく似た水が出ている富山市大泉一帯の湧水帯にはいないというのも不思議であった。これについては現在もよく分からない。この研究は最初からなぞだらけのスタートだったのである。(朴木英治 2000年6月6日掲載)




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