貴重な水辺のシンボル
イタセンパラ (第47回)



  
   
   イタセンパラの雄(右)と雌
   
 よどんだ小川でピンク色がきらりと光った。私が初めて生きたイタセンパラに出会ったのは、平成二年十月、氷見市の万尾川だった。その前年の十一月に近畿大の学生によって偶然発見され、富山大学の田中晋教授らと調べにきたのであった。その時は、水深十ほどの浅瀬にある二枚貝の回りを雄と雌が泳いでいた。繁殖期には、雄は婚姻色と呼ばれるピンク色になり、メスは貝に卵を産み付ける管が長く伸びてくる。和名は板のような鮮やかな腹に由来するらしい。

 この出会いから三年前、高岡高校にイタセンパラの標本が三個体残っていることが分かり、雄と雌一匹ずつを科学文化センターに寄贈してもらったことがある。小さな標本瓶に入り、ラベルには昭和三十三年九月七日、放生津潟と書かれ、高岡高校生物部員によって採集されたものだった。この時は富山県では絶滅したと思われていたので、生き残っているとは思わず、貴重な標本を感慨深く眺めたものだった。

 国立科学博物館にも高岡、新湊、富山市で昭和三十三年に採集された標本が保管されている。

 イタセンパラは淀川水系、濃尾平野と富山県に生息し、国の天然記念物、環境庁の絶滅危ぐ種に指定されている。1一九三〇年代から五〇年代にかけては氷見、方生津潟周辺などの平野部の小川に広く分布していたのであろう。氷見市での発見を契機に富山県や氷見市によって継続した調査が行われたが、その生息範囲は限られた範囲で広くないことが分かっている。

 イタセンパラは、絶滅危ぐ種の中で最も上位にランクされ、ライチョウよりも上である。富山の水辺のシンボルであり、貴重な自然の財産である。イタセンパラは、フナやナマズなど昔は普通にみられた水の生き物とともに、自然史展示室「小川の生き物」のコーナで展示している。(南部久男 2000年6月14日掲載)




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