江戸時代には広く分布
県内のトキ (第49回)



  
   
   石動中学校に保管されているトキのはく製
   
 日本のトキは絶滅にひんし、遠い世界の動物であると思っていたが、案外富山と関係が深いことが最近の調査で分かった。

 小矢部市の加茂家文書は江戸時代に鳥見役を務めた庄左エ門の執務の記録で、小矢部市立石動図書館に控えがあり、一部は古文書の読書講座の人たちによって報告書になっている。

 この古文書には、江戸時代の中ごろに現在の小矢部市、福野、福光、城端町の砺波地方九ヶ所に近江(現在の滋賀県)から取寄せたトキ百羽が放たれ、周辺にいついた記録が残っている。現地を訪ねてみたが、いずれも小矢部川の流域に位置し、広い水田や山ろくの林を見ると、トキが飛び交い、エサをとる姿が目に浮かぶようであった。

 さらに、トキが放鳥されてから百五十年ほどたったころ、三ヶ所の放鳥地点で開墾が行われようとしていたため、庄左エ門がこのような状況を憂い、藩に報告している。江戸時代には開墾が奨励され、トキの営巣場所の環境も次第に悪くなってきたことが分かる。

 内山家文書(県立図書館所蔵)には呉羽丘陵の北の村々を中心に十六村の代表が、トキやガンなどが田の苗を踏み倒すので、例年のように追い払ってほしいと藩に願い出ている。トキは江戸中期には現在の富山県中央部から西部の平地に広く分布していたのである。

 昨年、小矢部市の石動中学校に朝鮮半島産のトキのはく製が保管してあることが話題になった。県内にはく製があるとは思わず対面して感激した。これは、薬局を経営しておられた方が終戦後まもなく、同校に寄贈されたものである。昨年、科学文化センターで開いた絶滅に瀕する生物の特別展の際、このはく製を借りて展示させてもらった。

 トキなど大型の野鳥は、明治時代の混乱期に銃の使用で激減したと言われているが、富山のトキはどのような経緯で絶滅したのかは全く分かっていない。(南部久男 2000年6月16日掲載)




 この文章の著作権は北日本新聞社にあります。富山市科学文化センターは使用権を取得し、ここに掲載しております。無断転載を禁止します。