手探りで番組づくり
初代プラネタリタウム (第60回)



  
   
   数々の番組を紹介してきた初代プラネタリウム
   
 科学文化センターは一九七九年の開館当初からプラネタリウムを備えていた。それまでのように手動で機械を動かし、スライドを一こま一こま送り、後は解説員の名調子にまかせるというものではなく、たくさんの映像を使い、その映像に動きを持たせる装置、こまを自動的に送る装置などを多く使用するのだ。とても人の手では制御できないのでコンピューターが使われる。そこで投影するものは番組として作られ、自動的に演出するので、オート番組と呼ばれていた。迫力があって臨場感あふれるプラネタリウムになるのだ。

 番組づくりの流れは、シナリオ作成、録音、音声と映像のタイミング合わせなどのためのプログラム制作、映像などのセッティング、プログラム修正、完成となる。どれも初めての経験だった。特にシナリオづくりはまだオート番組をつくっている博物館がほとんどなかったので参考になるものがなく手探りの状態だった。

 通常のプラネタリウムは天井に星空を映し、それを説明するが、自然科学を楽しみながら学べるものにしたいと番組づくりに取り組んだ。最初に手掛けた番組は「冬の星空とタイムマシーン」だった。星の映像の投影だけではなく、恐竜時代など地球の誕生から現在までの歴史を紹介するものにした。たくさんの入館者でにぎわい、プラネタリウムも人気を集めた。

 それからいろいろな作品を作り八十作になった。しんきろうや富山の自然を紹介する番組などをつくり、語りで落語家に登場願ったこともある。飽きない番組づくりに勤努めてきた。シナリオを含めたソフトがよくなかったら、それらは機能しないといっていい。「知識を詰め込む」というものにならないよう注意しながら、ゆとりを持って楽しく学べるような番組をこれからもつくり続けてたい。(吉村博儀 2000年7月1日掲載)




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