加賀藩に精密な時刻制度
江戸時代の天文学 (第67回)



  
   
   新湊市博物館所蔵の江戸時代の時計
   
 ある鑑定士の名文句に「い〜い仕事をしていますねえ」という言葉がある。これと同じことを感じたことがある。新湊市博物館所蔵の江戸時代の精密な時計を初めて見た時である。

 昭和六十一年、科学文化センターで開く特別展示「天体観測の今昔」の事前調査として、新湊市出身の江戸時代の測量家の資料を集めた高樹文庫を訪れた際、木箱に時計らしきものが納めてあった。多くの研究者によりすでに見られていたものであったが、それを見た時に感じるものがあった。大名が使用したような美しいものではなく、歯車がむき出しの姿であるが、科学的な精密さが感じられた。調べてみると、二種類の時計が同じ箱にあった。

 その後、江戸時代の時計の研究者とともに調査しているうちに、垂揺球儀(すいようきゅうぎ)と呼ばれる、天文用の精密な振り子時計で、全国に五台しか残っていないものであることがわかった。精密な日本地図を作った伊能忠敬や当時の江戸の天文台が使用したものと同じ種類のものであり、独自の工夫が見られる。

 さらに調査を進めた結果、 加賀藩ではこの時計の存在から、全国にもない精密な時刻制度があり、金沢城ではこの時計と同種の時計で鐘を打ち、藩士に時刻を知らせていたことがわかった。精密ではないと言われていた、江戸時代の時刻制度の記述を塗り替える発見であった。さらに我々の研究が基になり、垂揺球儀も新たに二種類発見され、当時の科学技術の水準の高さを証明した。

 一般に科学博物館の学芸員が歴史の調査を行うことはあまりない。しかし、今回は精密なつくりに感動する科学専攻の学芸員の目が役に立ったと思う。天文の仕事というグローバルな仕事に携わりながら、地域の文化の発掘に貢献できたことに喜びを感じている。

(渡辺誠 2000年7月12日掲載)




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