![]() | 北陸初の施設 (第72回) |
刑務所の移転を機に跡地利用が検討され、富山県はもちろん北陸地方にない自然科学系の博物館機能を中核とした施設をつくることになった。 市民アンケートの結果、最も要望の強かったのがプラネタリウムであった。当時わが国には、プラネタリウムはまだ少なく、東京、大阪、名古屋などに行かなければ見られないものであった。東京へは長野、軽井沢を経由して片道六時間ほどかかった時代である。 六〇年代から七〇年代にかけ日本経済は高度成長期にあたり、公害など自然や環境を考えることの重要さが指摘され、市も「緑と文化のまちづくり」というスローガンが掲げていた。自然と調和した人間活動を一人ひとりが考えることが重要と考えられた。 このことは常設の二つの展示室の構想に生かされた。 自然史展示室は照葉樹林が富山平野を覆っていた縄文時代にかえり、最も野生を残した状態の森の様子を再現するジオラマを設置した。さらにさまざまな人と自然とのかかわりについて考えてもらおうと、農村から都市部へと、自然環境が変わる様子を示す展示を行った。自然や環境の問題を大きなスケールで考えてもらおうという発想である。はるか長い歴史に触れてもらうため、恐竜のアロザウルスやナウマンゾウの骨格も並べた。 理工展示室は水をテーマに、エネルギーの問題まで発展させ、楽しく参加する中で学んでもらおうと、水車、モーターなどいろいろな装置を置いた。さらにエネルギーについて考えることには大きな意義があると思い、ソーラーシステムも紹介した。そして展示を支える、調査研究や資料収集の活動の在り方についても盛んな議論が始まった。(布村昇 2000年7月19日掲載) |
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