![]() | 貝の寄贈品B (第77回) |
山本氏は和歌山県内の小中学校、高校の教員をした後、京都大学の非常勤講師を務めたが、かつて白浜博物館創設当時、学芸員として資料の収集に東奔西走した経験があり,博物館の持つ資料の需要性をだれよりもよく理解しておられた。私は大学院時代、白浜町にある京都大学瀬戸臨海実験所で学び、一九七三年からしばらく大阪市立自然史博物館に勤務していた。大阪に勤務していたころ、しばしば白浜に調査に行った。そして山本氏はいつも大阪向けの標本として珍しいものを用意してくださった。富山で勤務するようになった後も、富山向けとして引き続き用意してくれた。 科学文化センター開館準備中の一九七八年は、まだ収蔵資料がほとんどない状態であった。私が和歌山県出張の際、山本氏は「資料が必要だろう」と、自身の収集品の貝、海藻、コケなどの標本を寄贈していただいた。山本氏の貝類標本は大阪市立自然史博物館に収蔵されているが、同一種の複数標本が山本氏の家の納屋にあったのである。これをごっそり富山市科学文化センターにいただいのである。 徹夜で貝の整理をした後、ほかに海藻とコケもあると聞いた。海藻も貝と同じで大阪市立自然史博物館にあり、重複品が富山市科学文化センターに来た。コケはずべて科学文化センターにいただいた。貝は一万点、コケと海藻が合わせて二千五百点あった。 山本氏の理解によって大阪市立自然史博物館と科学文化センターの二つの博物館の標本が充実したのである。(布村昇 2000年7月31日掲載) |
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