生涯かけ世界で標本収集
熱帯環境復元へ (第80回)



  
   
   津田博士が大沢野で採集したビカリア化石
   
 夏休みは多くの小学生が化石を持って科学文化センターを訪れるが、自由研究も完成し、九月に入ると、質問カウンターも閑古鳥が鳴く。しかし昨夏は一人の少年が秋になっても化石を持って訪ねてきた。話を聞くと大沢野町で採取した化石だという。

 大沢野町や八尾町周辺は日本を代表する化石産地である。大正十五年の元旦、この化石を多産する大沢野町に故津田禾粒博士は生まれた。そんな環境で育った少年が化石に興味を持つことは当然といえる。小学五年の時、津田少年は雨の日には傘をさし、ある時は友達と競うようにして化石を集め始める。高校生になった津田青年は、これらの化石が当時の富山では想像すらできない熱帯にすむ貝の化石だと知り衝撃を受ける。この驚きと感動が地質学へ進む契機となった。

 京都大学在学中、また新潟大学で教べんをとる傍ら、五十余年にわたって「熱帯であったころの富山の環境を復元しよう」と、研究を続けられた。現在の熱帯の環境を調べ、それを古環境の復元に役立てたようとしたのである。そのため調査地域は故郷富山はもちろん、東南アジア・ミクロネシア、アフリカ、ヨーロッパなど世界各地に及んだ。こうして博士が生涯を通して収集した標本が科学文化センターに収蔵されている。平成四年に新潟大学長を退任される際、「古里富山の博物館に標本を保管してもらいたい」と科学文化センターに寄贈されたのである。総点数は一万七千点に及ぶ。

 津田博士の研究には富山市の医師、横田力氏の支援があった。また標本の寄贈には新潟大学の長谷川美行博士らの協力をいただいた。

 冬になると、化石を持って少年が訪れることはなくなった。あの少年はまた化石を持ってやってくるだろうか。もしかしたら、彼は大地質学者になるかもしれないと、かすかな希望を持っている。(田中豊 2000年8月3日掲載)




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