県植物誌の記載裏付け
50年に及ぶ調査 (第85回)



  
   
   植物標本と富山県植物誌
   
 一九八三年、富山県植物誌という本が刊行された。県内に生育するすべての植物を載せたもので、植物の戸籍のようなものである。記載された植物の種類は二千四百四十五。大田弘、小路登一、長井真隆の三氏がまとめて出版したものだ。比較的面積の小さな富山県だが、県土の七割を占める山岳域をつぶさに調査するのは並大抵のことではない。データの蓄積に五十年の年月が費やされている。

 植物誌は、何より県民が自らの郷土を知り、日本全体の植物を理解するため不可欠である。現場の基礎データは生物の多様性と遺伝子資源の実体をつぶさに表し、その保全のために欠かせない情報となる。

 富山県植物誌発行当初、問題点が一つ指摘されていた。それは記録されているデータが標本に裏付けされているかどうかが明らかにされていなかったことだ。文献に記録される情報には、すべてに証拠があることが望まれる。「絶対見た」と主張しても、それが正しいかどうかを第三者は確認できない。証拠となる標本があって初めてデータは生きてくるのである。

 大田先生から科学文化センターに標本が寄贈されたのは一九九一年六月だった。九千三百四十五点で二千百九十三種類に及ぶ。このコレクションの寄贈で、先の問題点はほぼ解消した。既にセンターに寄贈された長井氏のコレクションと合わせると、富山県植物誌の記載を裏付ける標本はセンターにほぼ集まった。ありがたいことだが、保管・整理するわれわれの責任も重くなった。

  大田先生は、環境庁による自然環境保全基礎調査や県立自然公園の植生調査などでいつもその中心人物として活躍してきた。富山県植物友の会会長を二十一年間も務めた。昨年亡くなったが、富山の植物研究の大きな礎を築いた業績は極めて大きい。残された標本はその価値をさらに高めていくだろう。(太田道人 2000年8月12日掲載)




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